2015/01/31

日本発 ”禁じ手”的な有効打(2):欧米メディアが賞賛した日本のイスラム国対応(備忘録)

今年の本稿方針である「短く刻む」が全くできていない状況であることに気が付き始めつつ、すでに今年最初の1ヶ月が過ぎ去りつつある。

・・この毎度冒頭の余計な戯言(というか本稿全体がそうかもだが・・)が話を冗長にする要因の1つであることに今気がついたので、とりいそぎ前回ブログの続きを以下;
※前回ブログタイトルを「タイトルが思いつかない備忘録(1)」から変更しましたw


今回の中東における日本人誘拐・殺害予告・身代金要求事件で、主犯と見られるイスラム系武装過激派犯罪組織「ISIS」が、おそらく(被害者の祖国である)日本の官民による対応(というか反応)に度肝を抜かれたんじゃないか、、と筆者が想像するのは、以下の理由による。

今回の事件を仕組んだISISが作戦上想定したのは以下の状況・・のはずだ。

ーーーーー
<状況①>(前回ブログからコピー)
ISIS「XXまでに払わないと殺すけど?」 
  ↓
日本政府 ←先進国「テロに屈しちゃダメだろ(1)」
  ↑
日本国民「国民を助けないとダメだろ(2)」

払ってしまったら(1)的に負け(先進国ではいられない)
払わなかったら(2)的に負け(政権与党ではいられない)
どっちも負けだけど、XXまでにどっちか選択せざるを得ない。
ーーーーーー 

ISISが自らの「勝利の方程式」である上記<状況①>を作り出すにあたり、想定している基本前提が2つある(はずだ)。

1.
国民は、国民を犠牲にする自国政府を許すはずがない。
(次の選挙で投票しない等の手段で政権存続させない)

2.
人質の命等を用いて期限設定することで(主に国民からのプレッシャーを利用し)政府にどちらか選択する事を迫ることができる。
(「選択せず粘る」という選択肢を政府に与えない)


しかし、今回の日本および日本国民の反応は、上記2つの基本前提を根本から覆した。

ーーーー
<状況②>(前回ブログからコピー)
日本政府「テロに屈しないけど、人命優先します」(粘る)
 ↓
ISIS「・・・」
 ↑
日本国民「ISISコラ、クソわろたww」(茶化す)
ーーーー

「テロに屈しない」と「人命優先する」は、今回の事件が発生してしまっている現状況では実務的に両立し得ない(トレードオフな)命題だ。

が、政府はその現実的には同時解決できない2命題を観念的に提唱だけしつつ、具体的なアクション(に関する意思決定)を一切示さず、組織側が強制的に提示した締め切り72時間をあっさりとスルーした。 
(実際は日本政府もてんやわんやで”あっさり”どころではなかったはずだが、ISISからは”あっさり”に見えたのではないか、、と思う)

それに対し、ISIS(の類の組織)的にはその報いとして当然巻き起こるだろうと想定していた、
「自国民である日本人総勢による日本政府(安倍政権)へのフルボッコ非難の嵐」
・・の予想は見事に外れ、それどころか、
当事者(被害者親族)&マスメディアによる「大人の対応」+ (一部)国民による「クソコラ拡散等による事態の茶番化」
で切り返される形となった。


このダブルパンチは、おそらくこの手の犯行(の再発抑止)に対してかなり強烈な有効打になっている気がする。 
それを結果的に日本が今回放ったのは、あくまで偶然の産物だと思うけれど。

当事者親族&マスコミの「大人の対応」に関して、ISISが事前に予測・想定できなかったのは、今回に類似したケースで日本が負った過去の痛い体験について、ISSがやや不勉強だったからなんじゃないか、、と思う(私見)。

2004年のいわゆる「イラク日本人人質事件」では、被害者ご親族による救命懇願が政治宣伝的な色彩を帯びるまでに大きくなったり、それに反応した擁護派・批判派双方のよる人命重視vs自己責任論に関する報道が過度にヒートアップしたりして、それが結果的に被害者ご親族にもマスコミ側にも大きな禍根となる事態に発展した。 これを題材にした書籍がフィクション・ノンフィクションともに多数出版されるくらいに。

この痛い記憶はまだ日本にとって新しく、結果、被害者側も報道側も、世論を加熱する可能性がありそうな発信について相対的に自粛モードだった、、ように思われる。 
結果、多少尖った一部の報道で議論はされてはいたものの、政府を動かすような大きな世論のうねりまでには発展しない、総じて落ち着いた大人の対応に終始している・・・ように見える(気がする)。

それに加えて、偶発的に同時発生した(一部)国民による不謹慎な「茶化し」が、ツィッター等のSNSを通じて世界中に拡散された。

本来、ISIS(的な犯罪組織)が存続・拡大するためには、その組織自身が極めて恐ろしい存在であると内外に思わせ続ける必要がある。 

先進国政府ですら恐れおののく世界最恐・最狂集団、であるからこそ、”自国”領域周辺のみならず欧米からも狂信的な若いムスリムを次々と惹き付け兵力化し、諸外国に対して強い交渉力を持ってニラミを効かす事ができる。

要はナメられたらおしまいなのだ。 
「あれ、あの人たち、実は何かコミカル?」と思われてしまっては、対外交渉力も対内求心力も急速に低下してしまう。

昔、日本に暴走族と呼ばれる集団がたくさんいたのは、夜な夜な公道を暴走する彼等が一般市民からは怖がられ、カリスマ不良に憧れる一部の少年少女からは崇拝されていたからだ。

それが、匿名系のネットサイト等を通じて珍走団などと揶揄されるようになり「なんかあの人達ダサくね?」的に見られるようになって、急速にその勢力は弱まって行った。

夜の車道の暴走も、歩道からの畏怖or羨望の眼差しがあってこそ気持ちよく続けられるわけで、道行く一般人から「プッ」とか吹き出されるようでは、盗んだバイクで走り出す若者が激減するのも必然だ。

北風と太陽の寓話ではないが、警察がいくら抑圧してもむしろ勢いは増すばかりだった暴走族(的な集団)が、世論から軽視・蔑視されるだけであっさり弱体化・衰退していった、、という経緯はとても示唆深い。

今回ISIS的には、渾身のニラミを効かせたつもりで全世界に公開した期限付き脅迫行為は、日本政府にあっさりスルーされ、しかも(一部の)日本国民からはクソコラ拡散で小馬鹿にされ、結局お金は入って来ず、政権にダメージも思ったほど与えられそうにもなく、まったくもって「割に合わないシノギ」になりかけているはずだ。

彼等が純粋な経済犯罪組織であれば「今回は相手を間違えた、もう2度とこんなやりづらい国(日本)を相手にシノギをしようと思わない、表沙汰にしないまま水面下で数百万ドル(数億円)を払ってくれる他の国の政府を狙い撃ちしよう」、、と考えても不思議ではない(気がする)。


当然、日本政府が表立っては要求をスルーしつつ水面下で一部国民にクソコラ拡散させた、、などいう陰謀説的な話であるはずはなく、政府と一部国民がまったく独立・無関係に各々採った行動の組み合わせが、偶然この「不謹慎な有効打」を生んだだけである、、と思う。
(もし政府が全てを画策していた、、とすれば、ある意味スゴい話だが、先進民主国家が行うべき所業ではないし、そもそも日本政府にできる芸当とは思えない)。

憲法9条と安保体制、国民会保険・給与源泉徴収の仕組み、量的緩和金融政策、、、など日本発・世界初な仕組み・スキームは実はいろいろあるけれど、今回の組織的誘拐犯罪へのこのダブルパンチ有効打がそれらに並んで列挙される、、事はおそらくはない


しかし、前回ブログにも書いたとおり、今回の日本の反応に対して寄せられている欧米系メディアからの賞賛は、これが何らかの「攻略法」に化ける可能性も示している・・気もする。



なお、今回本稿が「有効打」と銘打っているのは、あくまでこの手の犯罪行為の「再発抑止」に対してであり、実際に発生してしまった(現在進行形で発生している)犯罪の対処には全く無力である。 

むしろ、今起こっている犯罪の被害者の安否をないがしろにする(危険にさらす)再発抑止策とも言えるものであり、仮に本当に再発抑止に有効だとしても、先進民主国家が意図的には採り得ない(採ってはいけない)禁じ手である。
(だから、仮に将来何らかの「攻略法」に化けるとしても、今回のように一部国民による自然発生的な発信、、という様相を示すはずだ)


今回のISISという犯罪組織に誘拐された被害者の方々について、その身に起こってしまったご不運をただただ痛ましく思うとともに、なんとか無事にご帰国される事を祈ってやまない。

お店の店頭に置いてある商品がドロボウに盗まれたら、商品を盗んだドロボウが犯罪者であり、商品を盗まれたお店は被害者である。
「泥棒が盗みたくなるように商品を店頭に置いたお店が悪い」とか「そういうお店と泥棒を生んだ治世が悪い」いうのは暴論に過ぎる、、と筆者は思ったりする。

日本の諸々報道は、どうやら話を複雑にしたがる(いろいろな悪者を作りたがる)傾向にあるように見えるが、それが何故なのか、カンボジアで零細事業を営む筆者にはよく分からない。からよく分からない話には踏み込まない。


・・これはこれで日本から持ち帰った感想の備忘録として残しておくとして(長くてすみません・・)、来月からはカンボジアの話を短く刻んでいきますw


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