2015/01/31

日本発 ”禁じ手”的な有効打(2):欧米メディアが賞賛した日本のイスラム国対応(備忘録)

今年の本稿方針である「短く刻む」が全くできていない状況であることに気が付き始めつつ、すでに今年最初の1ヶ月が過ぎ去りつつある。

・・この毎度冒頭の余計な戯言(というか本稿全体がそうかもだが・・)が話を冗長にする要因の1つであることに今気がついたので、とりいそぎ前回ブログの続きを以下;
※前回ブログタイトルを「タイトルが思いつかない備忘録(1)」から変更しましたw


今回の中東における日本人誘拐・殺害予告・身代金要求事件で、主犯と見られるイスラム系武装過激派犯罪組織「ISIS」が、おそらく(被害者の祖国である)日本の官民による対応(というか反応)に度肝を抜かれたんじゃないか、、と筆者が想像するのは、以下の理由による。

今回の事件を仕組んだISISが作戦上想定したのは以下の状況・・のはずだ。

ーーーーー
<状況①>(前回ブログからコピー)
ISIS「XXまでに払わないと殺すけど?」 
  ↓
日本政府 ←先進国「テロに屈しちゃダメだろ(1)」
  ↑
日本国民「国民を助けないとダメだろ(2)」

払ってしまったら(1)的に負け(先進国ではいられない)
払わなかったら(2)的に負け(政権与党ではいられない)
どっちも負けだけど、XXまでにどっちか選択せざるを得ない。
ーーーーーー 

ISISが自らの「勝利の方程式」である上記<状況①>を作り出すにあたり、想定している基本前提が2つある(はずだ)。

1.
国民は、国民を犠牲にする自国政府を許すはずがない。
(次の選挙で投票しない等の手段で政権存続させない)

2.
人質の命等を用いて期限設定することで(主に国民からのプレッシャーを利用し)政府にどちらか選択する事を迫ることができる。
(「選択せず粘る」という選択肢を政府に与えない)


しかし、今回の日本および日本国民の反応は、上記2つの基本前提を根本から覆した。

ーーーー
<状況②>(前回ブログからコピー)
日本政府「テロに屈しないけど、人命優先します」(粘る)
 ↓
ISIS「・・・」
 ↑
日本国民「ISISコラ、クソわろたww」(茶化す)
ーーーー

「テロに屈しない」と「人命優先する」は、今回の事件が発生してしまっている現状況では実務的に両立し得ない(トレードオフな)命題だ。

が、政府はその現実的には同時解決できない2命題を観念的に提唱だけしつつ、具体的なアクション(に関する意思決定)を一切示さず、組織側が強制的に提示した締め切り72時間をあっさりとスルーした。 
(実際は日本政府もてんやわんやで”あっさり”どころではなかったはずだが、ISISからは”あっさり”に見えたのではないか、、と思う)

それに対し、ISIS(の類の組織)的にはその報いとして当然巻き起こるだろうと想定していた、
「自国民である日本人総勢による日本政府(安倍政権)へのフルボッコ非難の嵐」
・・の予想は見事に外れ、それどころか、
当事者(被害者親族)&マスメディアによる「大人の対応」+ (一部)国民による「クソコラ拡散等による事態の茶番化」
で切り返される形となった。


このダブルパンチは、おそらくこの手の犯行(の再発抑止)に対してかなり強烈な有効打になっている気がする。 
それを結果的に日本が今回放ったのは、あくまで偶然の産物だと思うけれど。

当事者親族&マスコミの「大人の対応」に関して、ISISが事前に予測・想定できなかったのは、今回に類似したケースで日本が負った過去の痛い体験について、ISSがやや不勉強だったからなんじゃないか、、と思う(私見)。

2004年のいわゆる「イラク日本人人質事件」では、被害者ご親族による救命懇願が政治宣伝的な色彩を帯びるまでに大きくなったり、それに反応した擁護派・批判派双方のよる人命重視vs自己責任論に関する報道が過度にヒートアップしたりして、それが結果的に被害者ご親族にもマスコミ側にも大きな禍根となる事態に発展した。 これを題材にした書籍がフィクション・ノンフィクションともに多数出版されるくらいに。

この痛い記憶はまだ日本にとって新しく、結果、被害者側も報道側も、世論を加熱する可能性がありそうな発信について相対的に自粛モードだった、、ように思われる。 
結果、多少尖った一部の報道で議論はされてはいたものの、政府を動かすような大きな世論のうねりまでには発展しない、総じて落ち着いた大人の対応に終始している・・・ように見える(気がする)。

それに加えて、偶発的に同時発生した(一部)国民による不謹慎な「茶化し」が、ツィッター等のSNSを通じて世界中に拡散された。

本来、ISIS(的な犯罪組織)が存続・拡大するためには、その組織自身が極めて恐ろしい存在であると内外に思わせ続ける必要がある。 

先進国政府ですら恐れおののく世界最恐・最狂集団、であるからこそ、”自国”領域周辺のみならず欧米からも狂信的な若いムスリムを次々と惹き付け兵力化し、諸外国に対して強い交渉力を持ってニラミを効かす事ができる。

要はナメられたらおしまいなのだ。 
「あれ、あの人たち、実は何かコミカル?」と思われてしまっては、対外交渉力も対内求心力も急速に低下してしまう。

昔、日本に暴走族と呼ばれる集団がたくさんいたのは、夜な夜な公道を暴走する彼等が一般市民からは怖がられ、カリスマ不良に憧れる一部の少年少女からは崇拝されていたからだ。

それが、匿名系のネットサイト等を通じて珍走団などと揶揄されるようになり「なんかあの人達ダサくね?」的に見られるようになって、急速にその勢力は弱まって行った。

夜の車道の暴走も、歩道からの畏怖or羨望の眼差しがあってこそ気持ちよく続けられるわけで、道行く一般人から「プッ」とか吹き出されるようでは、盗んだバイクで走り出す若者が激減するのも必然だ。

北風と太陽の寓話ではないが、警察がいくら抑圧してもむしろ勢いは増すばかりだった暴走族(的な集団)が、世論から軽視・蔑視されるだけであっさり弱体化・衰退していった、、という経緯はとても示唆深い。

今回ISIS的には、渾身のニラミを効かせたつもりで全世界に公開した期限付き脅迫行為は、日本政府にあっさりスルーされ、しかも(一部の)日本国民からはクソコラ拡散で小馬鹿にされ、結局お金は入って来ず、政権にダメージも思ったほど与えられそうにもなく、まったくもって「割に合わないシノギ」になりかけているはずだ。

彼等が純粋な経済犯罪組織であれば「今回は相手を間違えた、もう2度とこんなやりづらい国(日本)を相手にシノギをしようと思わない、表沙汰にしないまま水面下で数百万ドル(数億円)を払ってくれる他の国の政府を狙い撃ちしよう」、、と考えても不思議ではない(気がする)。


当然、日本政府が表立っては要求をスルーしつつ水面下で一部国民にクソコラ拡散させた、、などいう陰謀説的な話であるはずはなく、政府と一部国民がまったく独立・無関係に各々採った行動の組み合わせが、偶然この「不謹慎な有効打」を生んだだけである、、と思う。
(もし政府が全てを画策していた、、とすれば、ある意味スゴい話だが、先進民主国家が行うべき所業ではないし、そもそも日本政府にできる芸当とは思えない)。

憲法9条と安保体制、国民会保険・給与源泉徴収の仕組み、量的緩和金融政策、、、など日本発・世界初な仕組み・スキームは実はいろいろあるけれど、今回の組織的誘拐犯罪へのこのダブルパンチ有効打がそれらに並んで列挙される、、事はおそらくはない


しかし、前回ブログにも書いたとおり、今回の日本の反応に対して寄せられている欧米系メディアからの賞賛は、これが何らかの「攻略法」に化ける可能性も示している・・気もする。



なお、今回本稿が「有効打」と銘打っているのは、あくまでこの手の犯罪行為の「再発抑止」に対してであり、実際に発生してしまった(現在進行形で発生している)犯罪の対処には全く無力である。 

むしろ、今起こっている犯罪の被害者の安否をないがしろにする(危険にさらす)再発抑止策とも言えるものであり、仮に本当に再発抑止に有効だとしても、先進民主国家が意図的には採り得ない(採ってはいけない)禁じ手である。
(だから、仮に将来何らかの「攻略法」に化けるとしても、今回のように一部国民による自然発生的な発信、、という様相を示すはずだ)


今回のISISという犯罪組織に誘拐された被害者の方々について、その身に起こってしまったご不運をただただ痛ましく思うとともに、なんとか無事にご帰国される事を祈ってやまない。

お店の店頭に置いてある商品がドロボウに盗まれたら、商品を盗んだドロボウが犯罪者であり、商品を盗まれたお店は被害者である。
「泥棒が盗みたくなるように商品を店頭に置いたお店が悪い」とか「そういうお店と泥棒を生んだ治世が悪い」いうのは暴論に過ぎる、、と筆者は思ったりする。

日本の諸々報道は、どうやら話を複雑にしたがる(いろいろな悪者を作りたがる)傾向にあるように見えるが、それが何故なのか、カンボジアで零細事業を営む筆者にはよく分からない。からよく分からない話には踏み込まない。


・・これはこれで日本から持ち帰った感想の備忘録として残しておくとして(長くてすみません・・)、来月からはカンボジアの話を短く刻んでいきますw


2015/01/26

日本発 ”禁じ手”的な有効打(1)::欧米メディアが賞賛した日本のイスラム国対応(備忘録)

いつもよりやや長めの日本滞在10日間で、けっこうすごい事なんじゃないか、、と感じた事を備忘的に書き残そうかと。。恐縮ながら、カンボジアとは全く関係ないお話となります(^^;

イスラム系過激派武装犯罪組織「イスラム国(以下ISIS)」が日本人を誘拐、殺害予告、身代金要求していた事件について。 
直近情報だと、殺害が実行された可能性もあり、要求も身代金ではなくなっているようだが、まあ事の推移を追いかけるつもりはない。

なお、道義的な是非論やら責任所在論やら事態に対する人道・倫理的な意見や配慮にも一切立ち入らない。 
結果、もし本稿において不謹慎な言い回しに感じられる箇所がございましたら、、謝ります<(_ _;)>


何をすごい(かも)と感じたかというと、今回の事件で、日本の政府と国民(の一部)がとったアクションが、あくまで結果的にだけれども、この手の犯罪組織の暴挙に対する極めて有効な戦術(しかも再現性あり)になっているんではないか、、と言う事。 
それこそ、他国からも、ある種の攻略法として、今後参考にされそうなレベルで。


先週あたりからネット上でも話題になってきているが、拘束された日本人2名と黒装束のテロリストが登場する殺人予告動画を、日本人が面白おかしく加工して、「ISISクソコラブランプリ」と題したタグをつけてツイッター上で拡散させている。

クソコラ」とは「クソみたいなコラージュ作品」の略とのこと、らしい。
具体的には、件の予告動画を加工して、黒装束と人質の顔を入れ替えてみたり、他のアニメキャラに入れ替えたり、と面白パロディ的に作り直して発信しているようで、そのグランプリ参加者がかなりの数にのぼり(その拡散数も)、その方面のツイッターアカウントがいわゆる炎上騒ぎになっているらしい。
(ISIS、クソコラ、あたりの単語でネット検索すればたくさん出て来るそうだ)

当然、「人命がかかわっているのに、不謹慎極まりない!」などの人道的・道義的な非難の嵐が巻き起こりそうなネット系若者達の愚行・蛮行、、ではあるが、なんと欧米系のメディアで高く評価され始めて来ている、らしい。

欧米メディアいわく;
「お決まりで時代送れのテロ反論プロパガンダしか繰り出せず、1枚上手なISISの手のひらで転がされている欧米政府よりも、よっぽど有効なISIS弱体化政策を日本人のクソコラが成し遂げた」
みたいな。


ISIS(の類の組織)の狙いと戦術は極めて単純明快だ。
以下の図式で日本(他国政権)に「どちらをとっても負け」の選択肢を強制的に突きつけ、どちらを選択しようが勝利宣言を唱い、他国政権・国民(ひいては世界中)に対し自らが「できれば関わりたくない非常に恐ろしい相手」であることを強烈に印象づけること(のはず)だ。

ISIS(の類いの組織)が想定している状況は下記である(思われる)。
ーーーーー
<状況①>
ISIS「XXまでに払わないと殺すけど?」 
  ↓
日本政府 ←先進国「テロに屈しちゃダメだろ(1)」
  ↑
日本国民「国民を助けないとダメだろ(2)」

払ってしまったら(1)的に負け(先進国ではいられない)
払わなかったら(2)的に負け(政権与党ではいられない)
どっちも負けだけど、XXまでにどっちか選択せざるを得ない。
ーーーーーー 

このゲーム条件の状況下では(1)と(2)を両立達成する事は原理的に不可能なので、やられる側(ここでは日本政府)のが合法的に打てる最良の打ち手は、そもそもこの状況に陥る事を徹底的に回避する事しかない。

しかし、日本政府は自らの意思で危険地帯に果敢に乗込む勇気ある国民の行動を制約する事はできないし、一方のやる側(ここではISIS)とすればそういう素材を利用して非合法手段(誘拐など)を用いれば簡単にこのゲーム状況を作り出せる。 

絶対的優位にいるプレイヤーが、一定条件(勇気ある他国民が自己領域内に存在している事,etc)さえ揃っていれば、負かしたいプレイヤーを相手にいつでもゲームを主導的に開始できてしまう。
勇気ある国民を抱えている先進国(この類の組織にとって真っ先に負かしたい相手)は、構造的に不利な状況に置かれていて、それを全てわかったうえで確信犯的にゲームを繰り返すISISのような組織は、かなり驚異的な存在・・だったはずだ。

それこそまだソ連があった頃くらいの大昔には、ジェームス・ボンドやイーサン・ハントが属しているような欧米先進国お抱えの非合法部隊 (超法規的機関)が、敵地に乗込んで人質を救い出したりする、という裏ワザが残っていた。

が、冷戦が終わって約四半世紀、彼等の活躍の場は激減しすっかりリストラされて久しい今、欧米にもおそらくそういうヒーローはもういないし、日本にはおそらく元々いない。


・・・という状況の中で、今回の日本および日本国民がとった戦術は、ISISの度肝を抜いたんではないか、、と思う。

ーーーー
<状況②>
日本政府「テロに屈しないけど、人命優先します」(粘る)
 ↓
ISIS「・・・」
 ↑
日本国民「ISISコラ、クソわろたww」(茶化す)
ーーーー

・・・・ちなみに現在、成田空港の搭乗口。 これからカンボジアに戻るわけだが、、搭乗時間となってしまった。  
日本で感じた事は日本で書き終えて行きたかったんだが、、まさかの続く(汗

注;タイトル含め、本稿も後で加筆修正するかもしれません。。。





2015/01/24

彼等が味わうオイシい国ニッポン

2015年最初の日本出張も終盤。 業務的な事はほぼ終え、あとはカンボジアに持参するものの買い出しや友人との旧交を軽く温める程度の週末を残すのみである。

今回は久しぶりに丸10日と長めの日本滞在となった(あと2日残っているが)。 

この冬一番の寒さ(東京都心が日中でも摂氏5℃下回ったり・・)の中での外回りは、カンボジアのユルい気候に慣れ切った筆者的には、車がひた走る大通り沿いを歩きながら(たまにチャリに乗りながら・・)軽く意識が遠のきそうになったり・・と普段味わえないスリルを満喫できたり、まあとはいえ凛とした冷たい空気感で頭がスッキリして妙に心地よかったり、、あえてこの時期に来日する意義もあるかな・・と感じさせるいい体験であった。

周りはというと、産油国近辺で国家を自称する某宗教原理主義系の過激化組織に邦人が誘拐され日本政府が振り回されてたり、アジアなら勝てるという漠然とした空気感に包まれていた日本サッカーが同じく産油国にあっさり不覚をとったり、原油が安いから物価が上がらない事が良いとか悪いとか百家争鳴な薄口コメントが行き交っていたり、中東の盟主的な大国の国王が亡くなったり、、と、妙に産油国絡みのニュースが目や耳に飛び込んでくる。

日本のすごい所は、目や耳を塞ぎ続けでもしないかぎり、いろんな情報が強制的に脳内に流入してくることだ。 

上記の日本と産油国絡みのニュースでも、カンボジアにいると能動的に取りにいかないと全く情報を仕入れられず、浦島太郎になるのはいとも簡単である。
が、日本(東京)にいると、かなり意識的に情報遮断しない限り、嫌でも脳内の情報が同期されてしまう。 しかも、同期される情報になんとなく作為・偏りがある気もする。 


とまあ、それはさておき、日本(東京)の本当にすごい所(で筆者が最も大好きな所)は、やはり食べ物・飲み物が本当に美味しくて、かつそのコスパ(費用対効果)が極めて高い選択肢が豊富に揃っている事だ。

当然、かのミシュランがレストランガイドを発行した際に本家パリよりも多くの星を付与し、当時の編集長をして「世界の美食の中心として群を抜いている」と絶賛せしめた東京だから、ミシュラン調査員が行くような高級美食レストランのレベルはやはり世界で群を抜いている・・のだと思う。 
なお本稿は筆者が実際に体験した事をお話するのが基本なので、この富裕層の社交場的な世界のお話はこれ以上深堀できない、、、残念ながら圏外であるw


筆者がすごいと思うのは、東京が万民(富裕層〜庶民)に与える選択肢ボリュームの分厚さである。

中の下か下の上あたりの苦労系庶民カテゴリーに属する(たぶん)筆者であっても、やや小賢しい立ち回りに少しの労を割くだけで、世界最高峰のレベル(と筆者が勝手に感じている)東京の美食を存分に味わう事ができる。


例えば東京の台所築地の近くには、店構えは耐震基準を満たしているとは思えないレベルだがいつも常連客で賑わう居酒屋があって、その店は一皿500円で極めて美味しいお刺身盛りを外販している。  
ビニール皿から普通の更に盛り直し、1本(720ml)1000円前後の地方銘酒と付け合わせれば、2,3人で小宴を楽しめるレベルのテーブルが2000円未満で実現できる。


2000円弱の小宴メニュー@自宅、刺身はほぼ3人前強でお酒は1本分。 
もう普通の店では頼めない・・。 


例えば近所のスーパーにいけば、肉も刺身も夕方18時を過ぎる頃にはその日の商品が10%〜40%引きで店頭に並んでいる。
本で読んだ知識だと、むしろ少し時間が経った方が肉も刺身も美味くなっていておかしくないはずなのだが、「鮮度命」の日本のスーパーの自虐的とも言える商品在庫に対する減価償却意識は、これも世界で群を抜いている。


例えば知人がバイトしているイタリアンレストランでは社員(家族や友人でもOKのようだ)向けの身内サービス(?)で、人気のワインやおつまみを30%前後の割引でお届け頂ける。 


人気のイタリアワインと、ツマミはマントヴァーノという黒胡椒とニンニクを入れたサラミ



例えばコーヒーのお供のチョコレートも、賞味期限が近づいた等の「ワケあり」商品と銘打って市価の半額近くで手に入る。




例えば地方で農業を営むような親戚や知人(辿れば意外と行き着いたりする)がいれば、その美味しいおコメや野菜を堪能させて頂き、素直な感謝の言葉を届けることで、定期的に自然の美味をリーズナブルな対価で届けて頂く事もできる。


九州の知人から送って頂いたコメ・野菜だけを使った朝ご飯。 
最終的に行き着くのはこういう所。。


日本には、人件費と居住費(家賃・光熱費等)を除くほぼ全てのオペレーション(公私とも)に対して、極めて低コストで済ませられるオプションが用意されている。
目の前に見えるオプションも十分に低コストだが、上記の例のように更なるコスト逓減を図る打ち手も、ちょっと覗き込むだけでふんだんに用意されている。


要はヒトを雇ったりイエを借りたり(or借金で買ったり)しない立ち位置にポジション取りしていれば、日本は極めてコストパフォーマンスの高い世界最高峰の快適空間なのだ。

パラサイトやホームレスが絶滅しない(むしろ力強く生存している)真因は、おそらくこの辺りにあるのではないか。 
彼等は社会が勝手に張りつけた弱者レッテルや批判・憐憫の声をどこ吹く風で流しつつ、実は世界で最もオイシい生活を満喫している・・のかもしれない。


一応、「ジャパン(J)」と「カンボジア(C)」の取り合わせで「JCグループ」、と称させて頂いている手前、日本にもカンボジアにも精通している必要が社命として課せられている、、、という言い訳とともに、引き続き日本に精通していきたいと思っております。

いい国だジャパン、、また来ます♩









2015/01/18

カンボジア農業:夢物語の方程式(HAのお話完結)

2015年最初の日本出張中である現在、久しぶりの日本で凛とした冬の空気感と美味しい海の幸&日本酒を絶賛堪能中、、な最中、4000km離れたカンボジアのネタでブログ(しかも続き物)を書くのは意外と簡単ではない事を認識中である。

まあ、短く刻んでいく、という今年の本稿方針にのっとり(前2回、そうなってるだろうか・・)、あっさり目に流して書いてみる。

またまた頓挫しそうな国家プロジェクトの話から、面積単位ヘクタールの話、と続いた本稿だが、今日はそのオチの話(どういうオチになるか、書いてみないと分からないw)。

カンボジアの海辺国立公園プロジェクト「レアム国立公園」の総敷地面積は約21,000ヘクタール(以下HA)で、せっかく夢のプロジェクトの参加チケットをもらったのに一向に動き出さない現地開発業者に割り当てられたエリアは各々約1,400HAだ。

ちなみに弊社グループの農業会社「JC Foods Co.,Ltd」が手がけていたカンボジア穀倉地帯バッタンバン州の稲作農場は約230HA。 これから手がける想定の先も、まあまずは500HA未満からの着手である。

弱小零細企業である弊社が、細々と手がける農業の規模感を取引先様等にお伝えする時は、
「だいたい東京ディズニーリゾート(TDR)の、ランドとシー合わせた面積の倍チョットですね」
という言い方をしていた。 500HAだと、まあTDRの5倍である。 5倍と言われると、すでに筆者的にもあまりピンとこない。





2008年に日本の某大手業務スーパーが何故かカンボジアで農業に乗り出すという不思議なプロジェクトがあって、その会社が確か80年の長期賃借権でおさえていた(と思っていた)農業用地(と思っていた土地)の広さは(確か)1,700HA。

実際行ってみたら「開墾すれば農地になるかも」的なジャングル地帯だったとか、結局3年くらいで撤退を余儀なくされるまでの間にどこかへ消えてしまったおカネは約5億円だったとか、まあ当時いろいろと話題になった。

数年前にとある投資家の方に相談された農業プロジェクトは、カンボジアの肥沃で広大な農地に●●(某作物)を植えて育てて輸出して大儲けしましょう、という壮大なお伽話 夢のプロジェクトで、その広さは確かX万HA、というお話だった。


数千HAとか数万HAとなってくると、実際どんな広さなのか、すぐピンと来る方々は極めて限られて来るはずだ。

ただ、事業をやっている身として切に分かるのは、数千とか数万とかHAの数字を並べないと、オーソドックスな大規模事業としての農業は「投資家視点で見て面白い」プロジェクトになり得ない事だ。

コメにしろ何にしろ、その単位あたりの値段(や利益)は極めて小さい。
コメでいうと、1トンあたりのモミで現在相場だとだいたい売値で約250ドル(約3万円)。 当然、利益はもっと少ない。

夢の物語はだいたいExcel(マイクロソフト社が開発した表計算ソフト)で作られている。 
まあ細かい計算もいろいろとあるが、農業に限って言うと「夢の方程式」の基幹部分となるのはシンプルに以下の算式だ。

「トンあたり売値(ドル) X HAあたり収穫量(トン) X 収獲面積(HA) ≒ 夢の総額(ドル)」

「夢の総額」からいつ・誰が分け前にありつけるのか、がここから先の細かい計算の骨子(詳細は割愛)だが、何よりまずこの「総額」をかさ上げしないと、誰も夢に乗ってくれない。

この夢の方程式(の左辺)の特徴は、左から右へ行く程ピンと来なくなることだ。
左端のトン当たり売値は現地農家に聞けばすぐわかってしまうから、かさ上げが極めてしづらいパラメーターだ。 

真ん中の収穫量(トン)についても、「1トンってどれくらいの量?」と言われてピンと来る人は結構少ない。 
が、これもどこかの倉庫に行って積まれた米俵を見上げて「XXトンあります」と言われれば何となく把握はできる(「え、、この量で1トン、、で3万円(にしかならないの)?」というのがたいがいの反応w)。




結果、夢追い人の多くが、最もピンときづらい(体感しづらい)左辺の右端、HAのかさ上げに走ってしまう。


人様の夢に水を差す事は決してしないと心に決めている筆者が、強いてお伝えしてあげられる事は2つくらい。 そのうち1つは、そのピンと来ない右端のイメージを日本的にお伝えする事だ。

1,000HA(千HA、10㎢)というと、筆者が日本で主たる滞在拠点としている東京都中央区全体くらいである。

10,000HA(1万HA、100㎢)というと、筆者がいつか行ってみたいと思っている北方領土や小笠原諸島あたりの全体の広さに近い。

100,000(10万HA、1,000㎢)というと、沖縄本島より少し小さく、新潟県の北に浮かぶ佐渡島より少し大きいくらい。 で、東京都全体の半分くらいの広さと等しい。


まあ中央区くらいならまだしも(それでも十分広いけれど)、北方領土とか沖縄本島クラスになってくると、その敷地全体が平坦な農地であるとはまず考えづらい。 
いくら国土がかなり平坦と言われるカンボジアとはいえ、それだけ広大な敷地(というか地域)であれば、山もあれば谷もあり、河川も流れ森林も生茂っているだろう。
その土地を持っていると主張する誰かですら、全土をくまなく歩き回ったことはないはずだ。

また、その広大な敷地(というか地域)を一瞬にして豊潤な農地に変身させられる「ホグワーツ卒業生クラスの魔法使い達 広域農業プロ集団」 も必須となるはずである。 
ただ、得てしてカンボジアで遭遇する夢の物語には、夢の舞台の権利保有者と、その夢の参加チケットを買う相乗り人は登場するが、肝心のダンブルドアやハリーポッターの出演リストがまだ未定である。

かくして舞台で踊る役者がいないまま、チケット手配師と見物客だけの議論が延々と続く中、そういう細かい話にはいっさい立ち入らない(水を差さない)筆者が、強いてお伝えできる事もう1つの事は、ささやかながら以下の一節。


「舞台は一度、上からのぞいてみるといいですよ。 プノンペンかシェムリアップの空港から一飛びだいたい40万円くらい。 高額な夢のチケットの舞台裏をチケット買う前にのぞける御代と思えば安いものでは?」







なお、上述の「夢の方程式」に頼らない(オーソドックスではない)魅力的な農業プロジェクトは十分に構想・実現可能である。。。と筆者は信じて農業事業を営んでいる。
が、そこはまあ、大した話ではないが社外秘であるw

・・・・やはり長い、要カイゼン。。がんばります(汗



2015/01/10

カンボジア農地とドームとディズニー(面積単位のお話)

全ての業務の隅から隅まで出来る事から小さい改善をコツコツと継続して取り組んでいくべし、、という類の話を、弊社カンボジア人スタッフ達に常時やや上から目線からのたまって憚らない筆者としては、自ら率先垂範の証として取り組むべきと勝手に思っている拙稿のカイゼンプラン。

昨年まで長くクドかった本稿を、できる事からコツコツと、という事で、まず長さから随時修正を入れて行きましょう、という事で、今年は短めに刻んで行ってみるという事にする、、という方針で取り組ませて頂いております。

で、前回ブログでは、鉄道系・湖系に続いて似たように頓挫もしくは大幅遅延しそうな海辺系の国家プロジェクトに関する壮大なお話を冒頭前振りに使いながら、突然一気に話を矮小化して「それはさておき面積単位であるヘクタールが気になります」というような所で一区切りさせて頂いた。

従来 多くは酔った勢いで  一気に書き上げてアップ&後付け微修正していた(のを1週間に1回くらいのペースでアップしていた)昨年までと違い、短く刻んでいくというスタンスは、一端停車してパーキングに入れたギアを(続きを書く時に)どうやって高めのギアに持って行くかというモチベーション・コントロールが1つの課題となる事を初体験しながら(なう)、とりあえずなぜヘクタールが気になるのかを書いてみます。。。すでに長いかw


ヘクタール(記号:HA)はメートル法における面積単位の1つであり、要は1万㎡である。
100m X 100m の正方形な土地の広さをイメージしてもらえれば良い。

とはいえ、100m X 100m といってもどれくらいの広さなのか、それこそ不動産業に関連している人でもない限りなかなかイメージしづらい。 
自分の通っていた学校の運動場がそれくらいあったっけ、いか都心の学校だとそこまではないか、、みたいなあやふやな感じが大勢かと思われる。

ここで日本人に広さを説明する場合に「なんとなく分かった感」を伝達できる便利なツールが、1988年に日本初の屋根付き球場として東京文京区(水道橋)に開場したドーム型球場「東京ドーム」だ。

この東京ドームが、日本におけるそのあまりの認知度・存在感から、面積や体積を表す慣用単位になって久しい事は、東京ドーム(面積単位)というページがウィキペディアに存在する事からも分かる。 

まさかGoogleの電卓で体積単位として認識されるまでになっているとは、このウィキペディアで勉強させて頂いた筆者も驚きだ。
(なお、Googleの電卓とは何なのか、については筆者はよくわからない)。


そのウィキペディアによると東京ドームの広さは約4.7ヘクタール(以下HA)。 

ざっくり5HAなので、だいたいHA単位の面積を5で割ると「東京ドーム○○個分」になる。
また、実際は4.7HAだから、5で割った数字を気分次第で少し「盛る」事もできる、という便利機能付きだ。

ちなみに弊社が2009年〜2013年までカンボジア米作りに取り組んでいたカンボジアの稲作農地(穀倉地帯バッタンバンに所在)は、地主との契約上の面積は230HA。
とはいえ凸凹が酷くまともに稲作できないエリアもあり、だいたい200HA〜215HAくらいが実際の耕作可能エリアであった。

で、日本の方にこれを説明する際に「東京ドーム45個分強くらいの広さです」という説明をよくさせて頂いていた。 これでだいたいの日本の方からは「ほぅ、、広いですね」という反応を頂く事ができる。


Wikipediaより拝借した「東京ドーム」上空写真。広い・・のか?


ただ、子供の頃から実際の野球観戦に全くと言っていい程興味がなく(程よくまとまったテレビのスポーツニュースの方を好む無機質な子供であった)、東京ドームの観客席にいまだかつて座った事がない筆者としては、少し思う所もあった。

筆者は東京ドームに野球観戦には行ったはない事が、球場内には入れて頂いた事がある。
カンボジア起業前、東京で会社勤めをしていた頃に、取引先からのご招待で東京ドーム球場内で開催された某スポーツイベントのアリーナ席に座らせて頂いた。

この貴重な体験をさせて頂いた時に筆者は、いわゆるピッチャーマウンドからドームを見渡してみて、
「(・・あれ、思ったほど広くないかも・・)」
などと不謹慎な事を思ってしまったりした(当然、発言はしていない)。


「レモン◯◯個分のビタミン」と言われると、
「(レモンって酸っぱい感は満々だけど実際のところ一個あたりビタミン含有量って少なかったりして・・)」
などと勘ぐってしまう筆者の性格にもよるのだが、とはいえこの「東京ドーム」は「広い感」(「レモン」は「ビタミン感」)をアピールするには最適な便利ツール(慣用単位)となっているのは間違いないと思う。


ただ、実際に東京ドームの球場内に入って中を練り歩いた(広さを体感した)事がある日本人は、そう多くはいないはずである、という思いが心のどこかでずっと引っかかっていた。

そこで、カンボジアで起業して農業を営むようになった(≒ 広さの話をよくするようになった)筆者が考えた自分なりの慣用単位が「東京ディズニーリゾート(以下、TDR)」だ。

東京で前職に勤めていた頃、素晴らしくもホロ苦い貴重な体験をさせて頂いた、個人的には思い入れがかなり強いの舞浜TDR(なおプライベートの話ではない)。

しかも、ランドの方が約51HA、シーの方が約49HA、あわせてちょうど約100HA、と何とも使い勝手の良い面積に落ち着いている。 

しかも、毎年2500万人以上の日本人が(リピーター率95%以上)来園、つまり多くの日本人が敷地内を練り歩いた事がある。 
プロ野球選手になれないとその広さを体感しづらい東京ドームよりも、対一般人への説得力が格段に増しそうな気がした。

しかも、(当時は)他であまり「TDR何個分」という面積の慣用単位を使っているのを見かけなかった。 自分が使い始めればかなりキャッチーなネタになりそうな気がした。

ということで、筆者は弊社農業用地を
「TDR、ランドとシーを合わせた面積の2倍チョットですね」
という言い方をするようにしていた。
(おそらく筆者がその走りのはずだ、、と思っているが、先に誰かいたらごめんなさい。)


Wikipediaより拝借。 この緑の部分 X 2 の広さです、と言われれば、ステキな思い出と共に広さをイメージできる日本人は多いはず(対東京ドーム比)


この面積の話、カンボジアにまつわる大型投資プロジェクトに関する云々につなげようと(つながるかな・・?)と思っていたのだが・・・・昔の思い出に浸って書いていたらけっこう脱線してしまいました(汗。

刻んで行く今年、恐縮ですがまた続きます。。。<(_ _;)>

2015/01/07

何かと騒がしい海辺(と単位)のお話 in カンボジア

例年通り、年末年始感がほぼ皆無(日本対比)だったカンボジアでは、2015年平常モードでもうほぼ一週間が経過している。 
日本側もすでにお正月モードからすっかり平常モードに切り替わっていることだろう。

昨年何か書き残したものがあったような気もするが、あくまで前向きというモットー通りあえて振り返らず、心機一転今年もいろいろと(但し今年は短く刻んで)書いて行こうと思っています。

そういえば本稿はカンボジアの”万”情報を発信する事を主たるテーマとするブログであったはずなので、新年最初(謹賀新年あいさつは除く)の投稿も一応カンボジア時事ネタから。


せっかく夢のプロジェクトの参加チケットをあげたのに、一向に動く気配が感じられない現地大手開発業者に対し、カンボジア政府がご立腹なようだ。

首相自ら笛吹けど諸般の事情で誰も踊れない「農業立国に向けたライスポリシー(おコメを輸出して外貨を稼ごう)」のお伽話の縁の下で、現実にピンで年間300万人以上の外国人を集客し国に外貨を貢がせ続ける最強の呼び込み営業「世界文化遺産アンコールワット」。

ワールドクラスの稼ぎ頭であるこの大きなお寺に続く第二の売れっ子に育て上げたい、とカンボジア政府が密かに(かつおおいに)期待を寄せるのは、カンボジアにありあまる森羅万象の天然素材を何も労を費やさない 手つかずのままでそのまま集金マシーン化 観光地化する「自然国立公園プロジェクト」。

とはいえ本当に”手つかずのまま”の大自然を直に提供しては、お客が道に迷われたり変なモノを踏んでケガをされたりと、極めて不都合な事が多発する事が予想されるため、カンボジア王国環境省(Ministry of Environmet)はいくつかの開発業者に対して「エコツーリズム」系の開発・事業権を与えた。


レアム国立公園予定地で漁を営む現住民(現地紙プノンペンポストWeb版より拝借)


「優先的に夢のチケットを手配してあげたんだから、率先して大々的に開発に着手し且つおおいに喧伝して然るべき」とカンボジア政府が業を煮やしている(たぶん)矛先は、2008年に1,480ヘクタールのツーリズム関連プロジェクト開発を認可された「Evergreen Success and Asia Development」と、2009年に1,408ヘクタールのエコツーリズム開発を認可された現地最強財閥「Royal Group」。

ちなみに事の舞台は、今なにかと香ばしい話題に事欠かないカンボジア唯一の港湾都市プレハシアヌーク特別市(旧シアヌークビル)。 
海岸線沿い約21,000ヘクタールの広大な大自然をそのまま活用した「レアム国立公園(Ream National Park)」だ。

環境省は「6ヶ月以内にマスタープランくらい出せないようでは、全てを見直す用意がある」と強気と弱気の混在感を隠し切れない通達を発し、2大開発業者はとりあえず沈黙を守っている。

まあ、この類の話では毎度必ず課題となる(かつ解決されない)、既存住民との再定住先や補償に関する未合意、etc、など、昨年に湖と鉄道のお話で書いたような話がまた連綿と続くわけだが、そこから先はそのお話とほぼ以下同文である。

(以上のお話は現地紙プノンペンポストの情報+筆者の一部推測を基にしております)


で、その湖と鉄道のお話とほぼ相似形なこの海辺のお話を、なぜ新年最初の投稿のネタにしようと思ったかというと、筆者がよく話のネタにしていた(最近はそういえばしてない)「単位」の話をふと思い出したからだ。

この夢の国立公園プロジェクトの舞台となる海辺の広さは約21,000ヘクタール。
両開発業者に与えられた開発エリアは、それぞれ約1,400ヘクタールである。

このヘクタールという単位。 本稿のクドく長い話にお付き合い頂いている愛すべき読者皆様の中に、聞いてピンと来られる方はどれくらいいらっしゃるだろうか?  

一応憚り乍らカンボジアにて農業を営ませて頂いている筆者にはかなり身近なこの単位。 要は土地の面積なのだが、カンボジアでいろいろと事業や投資を検討されている方々にとっては、実はピンと来ておくべきカタカナである(筆者私見)。

・・・そういえば今年は短く刻んでいくんだった。 この話は続けるつもりです。






2015/01/01

謹賀新年 2015

新年あけましておめでとうございます。

カンボジアで起業して7年目、2015年の元旦はカンボジア首都プノンペンで迎える事になりました。

昨年は弊社JCGroup事業が新たなフェーズに向けて大きく舵を切った年でもあり、業容もまだまだ序の口ではありますが想定目標を上回る拡大を実現する事ができました。

今年2015年は更なる大きな目標を掲げ、社員一同引き続き頑張って参ります。

また、本稿でも引き続き、カンボジアからいろいろな情報や想いを、長くクドい文章で恐縮ですがお届けしていきたいと考えております。

本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

2015年1月1日元旦早朝 カンボジア首都プノンペン メコン川畔 初日の出