2014/05/25

続々・北の国から in カンボジア 〜各々の自由編〜:北朝鮮レストラン in カンボジア

今月プノンペンにある北朝鮮レストラン(通称:北レス)を久しぶりに楽しませて頂く機会があったので、ふと北レスにまつわる諸々をブログに書いてみようと思ったら、またクドい方向に(カンボジアと関係なさげな方向に・・)話が長くなってしまった。 

前回書き残した少しを追記する形で、「北の国から in カンボジア」シリーズをとりあえず締めたいと思っています。


前回ブログで触れた、2005年にマカオで凍結された北朝鮮資金は、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議での交渉材料にされるなどの経緯を経て、20074月に凍結解除された。

アメリカ財務省とマカオ当局が正式に明らかにした口座凍結の解除だったが、その資金2500万ドル(意外と少なかった・・)は、財務省による制裁中であるアメリカの民間銀行を通じた北朝鮮への送金はできず、さらには中国銀行も送金受け付けを拒否。

結果的にこの資金はロシア中央銀行を経由して、ロシアのハバロフスクにある極東商業銀行の朝鮮貿易銀行口座に送金する形をとった、と言われる。



北朝鮮への海外送金ルートは90年代後半以降、北朝鮮が何か騒ぎを起こす度に削り取られる、という流れが続いている。

1998年に事実上の経営破綻、2003年に一時国有化となった、栃木県を代表する地銀である足利銀行は、日本唯一の外国為替専門銀行だった旧東京銀行ですら事実上取り扱ってこなかった北朝鮮への送金を、意外と古く1979年から続けていた。 
当時、この足利銀行からの送金が、日本から北朝鮮に送金を行う上で唯一の合法的な送金ルートであった。

その足利銀行も、経営再建中だった20024月、北朝鮮国籍の銀行7行と締結していたコルレス契約(※コルレスとは?については前回ブログご参照)をすべて解消し、北朝鮮を対象とした外国為替業務から全面撤退した。

2006年の北朝鮮によるミサイル発射実験および核実験成功の発表をうけて、同年10月、日本政府は新潟港と北朝鮮の元山(ウォンサン)港を結んでいた万景峰号(マンギョンボン号)を含む全ての北朝鮮船籍を入港禁止とした。 
輸出規制品や多額の現金のハンドキャリーし放題とも言われた船のルートもここで閉ざされる。

制止勧告を一切無視してミサイル発射予告などの挑発行為を繰り返す北朝鮮にすっかりメンツをつぶされた中国は、2013年、北朝鮮との貿易決済を行なっていた中国銀行(バンクオブチャイナ)の北朝鮮の資金受け入れ窓口であった朝鮮貿易銀行の口座を閉鎖した。 





アメリカを中心とする先進国、大国から北朝鮮への送金ルートはほぼ全てせき止められている現状で、北朝鮮にとって外貨獲得のための安定的な送金ルート確保は至上命題だ。

ゆえに、北朝鮮を巡る諸問題に直接迷惑を被っていない(かつアメリカの意向にあまり気遣いする必要のない)第三国にある北朝鮮系の貿易業・飲食業等の事業会社口座からの送金ルートは、彼の国にとって文字通り“生命線”となっている(と思う)。

世界各国からNGOや事業会社があつまり、米ドル以外の様々は通貨が取り扱われ、バラエティ豊かな外国資本の銀行が30行以上もある「自由の国」カンボジア。 
北朝鮮レストランが5店舗もある理由(の一部)が、何となく見て取れる(私見)。



そんなお国の台所事情まで知ってか知らずか、各地の北レスに送り込まれたエリート才女達は、だいたい3年〜5年の任期で、愛する祖国の外貨獲得のため各地の外国人達に歌や踊りを披露し続けている。

共産主義の幻想理想をいまだタテマエとする彼の国で「チュチェ(主体)思想」の薫陶を生まれた時から浴び続け、その中から更に厳選素材として選び抜かれた彼女達は、各国から資本主義の権化が集うカンボジア首都に送り込まれ、“旅の恥はかき捨て“を地で行く外国人達の乱痴気騒ぎを横目に眺めつつ、給仕もしつつ、異文化による汚染から必死に身を守りながら、祖国に忠節の限りを尽くしている。

クリスマスツリー in 北レス


とはいえ、何でもアリな無節操アジアの周辺環境から全く無影響というわけにもいかないはずで、嘘か真かごくたまに耳にする彼女達の「自由への逃避ストーリー」。 

プノンペンの北レス某店の女性スタッフが外国人と駆け落ちした(かなり昔の都市伝説という説も)、とか、最近ではシェムリアップで女性スタッフが私用iPhoneも持たず失踪した、とか(これは実際に現地ニュースになった)。

彼女達が「ショーシャンクの空に」ばりの脱出成功ポーズを国境あたりでしていたら、、などの空想は楽しくはあるが、まあ事の真相が明らかになることは(おそらく)ない。



給仕中の女性スタッフに「プノンペンが居心地良くて、もう平壌に戻りなくないんじゃない?」等と軽口をたたくと、真面目な顔で「早く祖国に帰って家族に会いたいです」と返して来るけなげな彼女達。  
先日、軽く涙ぐまれた時は、さすがに写真撮れませんでした・・・。


こうして、無何有の郷(むかうのさと)の踊り子達は、遠い異郷の俗世に送り出され、異邦人達の享楽を目の当たりにしつつ、理想のユートピアに残した家族を思いながら、今日も歌い踊っています。  


・・・無駄に長い与太話にここまでお付き合い頂いた方々に感謝をこめて、北レスinプノンペンの秘密の部屋の扉を少しオープン♩




注;
写真はすべて筆者が過去プノンペンの北レスにて撮影したものですが、原則的に営業中の撮影は禁止されているらしく、怒られたら謝ります <(_ _)>

また、文中の内容は基本全て、筆者が知る一部の事実に基づく想像及び推論(≒フィクション)です。

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