2014/10/19

講演あとがき(終):悪者も愚者もいない憂鬱な世界

前々回のブログでかなり中途半端な書き方をした(というかただの前振りしか書かなかった)件がなんとなくまだ気になっていた事もあり、更に最近、またカンボジア進出日系事業者(飲食店)が店仕舞いされたという話を聞いたりもしたので、前振りした話の本編を少し。
注:かなりはしょっていますが・・すみません。



カンボジア(に限らず海外全般に)進出した企業や事業者の多くが、思うようにビジネスが進まず、やがて衰弱し撤退していく様を、アリーナ席からじっと見つめている傍観者達が抱く卒直な感想は、だいたい以下に収束される(と思う)。

「なんで(進出をあおる人たちの)口車に簡単に乗ってしまうんだろう」

「なんで(事業経営者のくせに)もっとしっかり事前調査や準備をしないんだろう」


自身で事業をやった事がなかったり、ひいては働いている身でもなかったり、老若男女・様々な立場の方々も含まれる傍観者皆様をして、

「なんでこんな簡単な事が分からず、当たり前の事ができないんだろう?」

と感じさせてやまないカンボジア日系進出企業・事業主。

卓越した話術とトリックを巧みに操る詐欺師達と、素人でもわかる道理すらわきまえてない放漫ボンボン経営者との、三谷幸喜の映画のようなコミカル悲喜劇が日々繰り返されるカンボジア首都プノンペン、、、これって本当だろうか。


筆者が存じ上げている方々に限っていうと、日系企業のカンボジア進出支援に取り組まれている方々はその事業に真摯・真剣だ。  日本でしっかりした事業基盤や経験を持たれてカンボジア事業に取り組まれている経験豊な経営者も数多くいらっしゃる。 

実際のところ悪徳詐欺師や経験不足な経営者も存在するだろうが、現状プノンペンを覆っている「日系企業の憂鬱」の大きな要因になるほどの影響力はない気がする。 目立つ事例もあるにはあるが、あくまでまだ特殊ケースの域を出ない。

皆が思うほど経営者はバカでは勤まらないし(筆者が当地で仲良くさせて頂いてる方々は尊敬できる経営者ばかりだ)、そんな経営者を手玉に取り続けられるハイレベルな詐欺師もたぶん存在しないのだ(筆者が知らないだけで、中にはいるかも知れないが)。


ではなぜ、皆が似たような憂鬱な状況に似たようなプロセスを経てハマっていってしまう(ように傍観者には見える)のだろう。

傍観者の1人でもある筆者が考えるに、各事例毎の諸事情は個別にあるとしても、その更に下層に横たわる構造的な原因がある(気がする)。 それはヒトの習性にまつわる極めてシンプルな話だ。

(1)
 ヒトは、見たい物を見たいようにしか見ない(聞きたい事を聞きたいようにしか聞かない)生き物である。

(2)
 (1)の習性による思い込みを強制的に全否定してくれる情報流入がない。


(1)はヒトに備わっている本能的な習性で、それに抗う事はヒトである以上極めて困難だ。 かなり意図的に意識するか、強い拘束力をもって強制でもされない限り、無意識にヒトの脳はそういう動きをする作りになっている。

(2)はカンボジアの環境要因だ。 
日本のように膨大な情報が多方面から(自ら取りにいかなくても)脳内に強制流入して来る情報社会では、気持ちよい勘違いを持続させるのは難しい。
が、そもそも情報流通量が少ないカンボジアでは、見たいものだけを気持ちよく見続ける事ができる(見たくないものはわざわざ見ないで済む)。


事実にはいろいろな側面があって、どちらから光を当てるかで見え方が変わる。 

360度全方位から撮った映像を眼前に突きつけられれば全体を見ざるをえないが、例えば情報の出し手と受け手が「見たい」と思っている側面が同じであれば、その裏側に光を当てなくても誰も文句は言わない。 むしろ当てると文句を言われる事もある。

「宝くじは買わないと当たりませんよ」という話に嘘はない。
でも「宝くじで一等が当たる確率は日本で交通事故死する確率の1/300未満ですけどね」という話は、売る側に話す義務はないし、また意外な事に、買う側にしても聞きたくない話だったりする。 


進出する側も、それを支援する側も、自らの事業に人並み以上に真摯に取り組んでいる。
マジメで優秀な経営者や支援者であればあるほど、自らの成功に信念をかけて臨んでいる。 普通のヒトのよりも(1)がそもそも強いのだ。

だから、支援する側も、真剣に誠意を持って、自ら信じる側面に強い光を当てる。
全員が全員、悪意をもって見せたい側面だけ見せているわけではないのだ(たぶん)。

一方、進出する側も、その支援する側の真剣さや誠意を感じるし、また本人自身も本能的に見たい側面が同じであったりする(これは無意識)。 そこで事業家同士、魂の共鳴が起こったとしても何ら不思議はない。


更に、カンボジアに来たばかりのタイミングで、ものすごい運命を感じさせる幸運な出会いがあり、それが(1)をますます増強する。

経験豊富で有能な進出支援者に会えてよかった、偉くて有力な現地パートナーが味方についてくれた、ものすごく性格が良くて日本語が上手な現地スタッフを採用できた、etc。

ヒトは、地球上に60億人以上のヒトがいて、自分がその中の1人であることを、頭の中では理解している(少なくともほとんどの日本人は)。

でも、自分の目の前に広がる世界しか世界として認識できないから、そこで起こる諸々の臨場感は圧倒的で、潜在意識的には常に世界の中心は自分である。

そんな自分に、他人には訪れるはずのない運命的な幸運が訪れたとしても、それを勘ぐったり疑ったりする事は、本能的に極めて難しい。 
自らリスクをとってカンボジアくんだりまで乗込んで来た自分に、そういう運命の出会いが訪れてもおかしくも何ともない。 成功した経営者には、だいたいそういう運命の出会い話が付き物ではないか。


ちなみに筆者にも訪れた事があるくらいだ(もう6年も前の話だが)ww

当時、筆者に訪れた(と本当に思った)望外の幸運は、その後6年間にわたりお会いした数多くの日本人から「この出会いがあったからカンボジア出ると決めたんです!」とか「ものすごく有能なカンボジア人がウチに入ってくれまして!」とかアツく語られるのを聞き続ける事で、悲しい事に雲散霧消してしまった。 
(上記(2)でいう、思い込みを全否定してくれる情報流入とはまさにこれである。)


狡猾手練な悪者も、救いようのない愚者も、実は(それほど)いない。 皆がマジメで真剣であるが故に、皆が憂鬱になる不思議な世界となっている(気がする)プノンペン。


・・・ここまでクドい長文を読んでくれた方に、今回の話で唯一役に立つ(かもしれない)処方箋を、以下2行でお伝えしたい。

良くも悪くも、自分の目の前に現れている事象は、だいたい他人の目の前にも現れている。 

そう思っているだけでも、回避できるワナはいろいろあるはずだ。
 

さて明日からもまたがんばろう。

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