2014/01/24

話が違う大事な話(3)

3回も続けるつもりはなかったこの話。 
面白く読んで下さっている、という声も一部、有難くも奇特な方々から頂いておりますが(本当に感謝!)、落とし所としては今回が旬かと思われるので今回で締めます。


前回ブログで、要は日本では以下の図式になってしまった事までお話した。


 場所   作る(費用)  売る(収益)  利益  
 国内    8千円   →  1万円    2千円     
       (①)
       ↓(海外生産シフト)
 海外    75ドル  →  100ドル    25ドル  
       (②)            (③)


前回ブログまでは、国内で売る事を論点から捨象していたので「国内 売る(収益)」は空欄だったが、実際は国内でも売れているので(むしろ日本は依然として巨大なマーケットだ)、仮で1万円という数値を入れてみた。 
論点となる部分の連番(①〜③)は前回までの通り。


「円安来たらば福来たる」と説いていた円安待望論者の夢と希望は、上記図式の「海外」の部分を、以下のように円換算した場合の「500円アップ!」に託されていた。


        作る(費用)  売る(収益)  利益  
(ドルベース)   75ドル  100ドル  25ドル
(
円ベース)     ↓       ↓      ↓
1ドル= 80円     6千円      8千円      2千円  
 ↓ 「円安」      ↓      ↓      ↓「500円アップ!」
1ドル=100円    7500円      1万円       2500


が、「費用75ドル   売上100ドル  利益25ドル」は、「じつは円に戻されない」という事が、本当に円安になってきた今とうとう暴露されてしまった。(前回ブログ参照)。 

日本で円で作って海外にドルで売る、というのはとっくに(海外生産シフトで)幻想となっているし、海外生産・販売の結果(利益)が円に戻されて「500円アップ!」というのもやはり幻想だったのだ。 


というわけで、冒頭の図式(以下に再記)に戻るわけだが、繰り返し述べているとおり③の部分は25ドルで完結なので、ここに福音をもたらす円安効果はない(円高も円安も関係ない)。

 場所   作る(費用)  売る(収益)  利益  
 国内    8千円   →  1万円    2千円     
       (①)
 海外    75ドル  →  100ドル    25ドル  
       (②)            (③)


では、円安はもう日本にとってどうでもいいのか、というとそうでもない。
500円アップ」という都合のいい方の話は幻想であったが、皆が気付かないフリをしていた「都合の悪い方の話」があるからだ。

①の8千円は、国内でモノ作りをするための費用だ。
ところで、日本は国内でモノを作るために必要な原材料の多くを、海外から買って来ている(つまり輸入している)。

たとえば、国内のモノ作りに必要な原材料のうち、海外からの輸入に頼っている原材料があったとして、その買値が30ドルだとする。

1ドルが80円→100円になれば、円で計算した買値は2400円→3000円になり、費用は大きく跳ね上がる。 

8千円の中身には、円換算されたドルが隠れているのだ。


しばらく前まで、日本は輸出で大儲けしていている貿易黒字国だったはずだが、最近は新聞でよく「貿易赤字が年間10兆円を超えた!」等と騒がれ始めている。

貿易赤字とは、要は海外からモノを買うため支払う(出て行く)お金(円ベース)の方が、海外にモノを売って受け取る(入って来る)お金(円ベース)より大きい、ということだ。

原発が動いてないせいで、火力発電に頼る部分が大きくなり、火を燃やすための原油や液化天然ガスを海外から買ってくる量が増えてきている、というのが主要因でよく語られている。 

海外から買うモノは、円安になると円ベースで高くなってしまう。 
買う量も増えて、さらに円安で高くなる、というダブルパンチで、海外に払うお金が増大しているのだ。


つまり、先ほどの図式でいうと、円安になると①が高くなってしまう。
 
こんな単純な「円安の不都合な話」、今までなぜあまり騒がれなかったのだろう(騒がれていたのにカンボジアにいて聞き逃しただけだろうか?)。



さらに、円安・円高とは関係ない世界、海外(ドルベース)で、今までのように安くモノが作れなくなってきている。

カンボジアのデモ&ストの話は、以前のブログで少し書いた。

先ほどの図式だと、海外でのモノ作りコスト(②)が長い事75ドルにおさえられていた。
安く作れる主な理由は、海外の労働力調達が低コストで済む(労働者の給料が安い)ことだ。

が、そんな状況がいつまでも続くわけがない。


実際、カンボジアのような後進国であっても、経済が活性化し、昔と違って皆が少しずつ消費を楽しむようになった。 毎日生き延びるのに必死だった時代から(ほんの十数年前だが)、生活を楽しみ将来を夢見られるようになった。

カンボジア人ですら、スマホ片手に世界の情報に簡単に触れる事ができ、世界で何が起こっているのか、自分と同性代の外国人は先進国で何を楽しんでいて、今の流行最先端は何なのか、を目の当たりにするようになった。


彼等は無個性多数の「労働力」ではなく、個々の人格を持った「人間」だから、ロボットと違って夢や希望、嫉妬や妬みなど豊かな感情の芽を有している。

情報が遮断された昔の閉鎖社会ならいざしらず、スマホを通して見える外の世界を含めた周囲と自分を常に比較し、それらの情報によって増幅された感情の芽は大きく育つ。 

そしてついには、給料を上げて欲しい、待遇をよくして欲しい、と、職を賭して、どころか命がけで、外国人雇用主に切に願い出てくるのだ。



・・・このあたりを書き始めると長くなるのでここでちょっとストップして、お題の「話が違う大事な話」を、以下の図式からまとめると、


 場所   作る(費用)  売る(収益)  利益  
 国内    8千円   →  1万円    2千円     
       (①)
 海外    75ドル  →  100ドル    25ドル  
       (②)            (③)


「話が違う」のは;
③がアップすると期待していた円安効果 幻想だった
①が円安で高くなる事があまり語られなかった →実際、円安で高くなってきた
②は安いままのはずだった → 人件費含め高くなってきた


ということは、昨今の円安&アジアの気運は、どうやら以下のとおり、費用が高くなる効果にしかつながらない、ということになるようだ。


 場所   作る(費用)    売る(収益)    利益 
 国内     ↗          →       ↘
    (円安で輸入材が高騰) 

 海外      ↗             →       ↘
    (現地コスト値上がり)   
      

財界の偉い人が年始から渋い表情を見せていたは、上記の「不都合な真実」の図式が、いよいよ現実化し始めたのが真因ではないだろうか。


・・何か全く救いのない話を、長々と書いてきたように見えるかもしれないが(自分でそう話しておいて何だが)、よくよく考えてみるとホントはそうでもない。

円高だ、円安だ、などの為替の上下(による計算上の利益の上下)や手の届かない海外の賃金動向に一喜一憂する、というのは、よく考えれば「自分と関係ない何かに依存」しているだけである。 

「円安になって利益増えたらいいな」とか「海外賃金安くて利益増えたらいいな」とか、よく考えれば自分の努力とは関係ない要素への他力依存の真骨頂だ。


ビジネスは古今東西、売上をあげてなんぼである(自分に言い聞かせる)。

今回は論点から「売る(収益)」をあえて捨象していた(だから上の図でも→のまま)。
が、要はビジネスなんだから、王道に回帰して以下の図式を目指せばいいのだ。


 場所   作る(費用)     売る(収益)      利益   
 国内     ↗           ↗↗         ↗
    (円安で輸入材が高騰)  (がんばる)     (儲かる)

 海外      ↗             ↗↗         ↗
   (現地コスト値上がり)   (がんばる)     (儲かる)


つまり、円安の逆風&海外労働者の逆襲、を飲み込んでおつり(利益)が来るくらい、国内でも海外でも売上をたてましょうぜ、という話。

いい感じでまとまった(?)。 さて自分も売上たてないと (= = ;)

長い飲み話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

次はカンボジアの話します。

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