2014年が始まってもう半月以上が経過。
今年は年始早々「あれ、話が違うのでは・・?」と感じる話が相次いだ気がする。
日本商工会議所の会頭は1月7日の年頭会見で「円安になったら日本の株価が上がるのはおかしい」と述べ、経済同友会の代表幹事も「あまり円安は歓迎できない」と述べたらしい。
財界の偉い方々が口をそろえて円安を否定的に受け止めているかのような発言だ。
「円安になったら企業業績アップ&株価アップで日本がハッピーになる」、と少し前まで皆が口を揃えて合唱していたような・・気のせいだろうか。
カンボジアでは、昨年後半から続く野党による現政権への抗議デモが、いつのまにか給料アップを求める労働者によるデモ&ストライキに変わっていた。 今年に入ってデモ&ストが更に激化し、死者が出る騒ぎにまでなった。
しかも、現地労働者の賃上げ圧力はカンボジアだけでなく、周辺東南アジア諸国にも同時多発的に起こっていて、今年からどこもかしこも本当に一気に上がってしまうかも、との話もあるようだ。
東南アジアの後進国は製造業の“ラスト・リゾート“で、勤勉な現地労働者達が、コツコツと単調作業をこなし、安い給料を厭わず、日本から工場が進出してくるのを諸手を挙げて歓迎してくれている、のではなかっただろうか?
円安が思っていたほど(信じていたほど)日本のハッピーにつながらないかもしれず、東南アジアがラスト・リゾートにならないかもしれない。
日本の今後の見通しに関する、何か大事な話の前提になってる部分について、実は違うかも、、という話がチラホラ出始めている気がする。 どうしてそういう話になってきたのだろう。
ちょっと流れを(自分なり)に整理するために、ざっくりと簡単な数字例を使って昔を振り返ってみる。
あくまでざっくり、自分の主観とあいまいな記憶頼りなので(しかもほろ酔い中)、歴史的に正確な事実・時系列に即しているわけではない。
・間違ってたら謝りますので笑って流してください。
今もそうなっているが、昔も1ドル=100円くらいだった頃があり、日本で職人が8千円で作っていたMade in Japanの製品が、海外では100ドル
( ×100円/ドル = 1万円)で売れていた(つまり輸出)。
( ×100円/ドル = 1万円)で売れていた(つまり輸出)。
為替
作る(費用) 売る(収益) 利益
100円/ドル 8千円 100ドル(=1万円) 2千円
それが、モノの品質は変わらないのに、1ドルが100円から80円にまで安くなってしまった(ドル安、つまり円高になってしまった)せいで、利益が全然出なくなった。
為替
作る(費用) 売る(収益) 利益
100円/ドル 8千円 100ドル(=1万円) 2千円
↓円高 ↓円高のせいで
80円/ドル 8千円 100ドル(=8千円)
0円
そこで日本企業は、それまで8千円かかっていたモノ作りの費用を、血のにじむ様な企業努力で6千円にまで下げて、なんとか利益を出せるようになった。
為替
作る(費用) 売る(収益) 利益
80円/ドル 8千円 100ドル(=8千円) 0円
↓頑張って削減
80円/ドル 6千円 100ドル(=8千円) 2千円
だが実際、多くの日本企業は、モノ作りの費用が8千円だった段階で、すでに血のにじむような企業努力を何度も何度も実施済みで、もうこれ以上絞っても何も出てこないカラカラな状況となっていた。
そこで困った日本企業が見つけて来た極めつけの処方箋は、まだ人件費などコストが安い海外で、同じモノを75ドル( × 80円/ドル=6千円)で作り出す事だった。
場所 作る(費用) 売る(収益) 利益
国内 8千円
↓
海外生産
海外 75ドル(6千円) → 100ドル(8千円) 25ドル(2千円)
8千円のコストを国内で6千円に削り落としたのではなく、75ドルで作れる他の場所(アジア)を見つけ出して来たのだ。
円が高かった(ドルが安かった)おかけで、75ドルは円に換算すると6千円。 日本国内では実現できない破格の低コストだった。
ちなみに日本の「産業空洞化」とは、簡単に言うと、上の図式が続いて誰も国内でモノを作らなくなることだ。
上記の図式が続いた場合の弊害(産業空洞化の危機)は、長い事いろいろな識者が叫んできたが、「じゃあどうすればいいの?」という問いに誰も能動的な代替案を提示する事ができなかった。
そこで「こうせざるを得ないのは円高のせいだ、円安にさえなればきっと全ては解決する」と、為替レートに全ての責任を負わせる論調が受け入れられていくようになる。
これで、誰も悪者にならないで済むからだ。
そしてこの図式は長いこと変わる事なく、しばらく続いた。
・・・長くなったので続きはまた改めて。
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