2014/12/31

総論と各論:とある日本人20歳若造の非日常 in カンボジア

とある20歳の日本人男性(以下「若造」)がカンボジアの片田舎バッタンバンで孤軍奮闘中であるw




日本から格安航空を乗り継ぎカンボジア首都プノンペンに深夜到着。 そのままプサータメイ(新市場)近くで完徹して朝を迎え、業務用品の入った大きなキャリーケースを担いだまま早朝バスに飛び乗り(※大き過ぎる荷物乗せるためにバス会社と直接交渉)、陸路5時間かけてバッタンバンに到着。


いきなり現地農家と交渉しに行く出張への同行を命じられ、ボロボロ中古車に揺られながら片道3時間のド田舎悪路を走破(※ 揺られる具合は、筆者の体感的にはディズニーランドのアトラクションの5〜10倍くらい。若造いわく「富士急ハイランドのFUJIYAMAクラス」w)。 


若造撮影。 まだ写真が取れる揺れレベルの農道にて。


悪路の大揺れに負けじと体を車内で支えつつ、遠路はるばる辿り着いた先では、弊社営業部隊と農家さんとの侃々諤々の交渉(当然クメール語)に全く入れず呆然と横で見つめるのみ。 
トラクター等の大型農機はその値段が数百万円相当、カンボジア人農家にとっては一生に一度(と言えるくらいの)大きな買い物。  会話のトーンは柔らかでも、口調の端々からほとばしる迫力にペーペーの日本人若造が軽く気圧されてしまうのもムリはない。


若造撮影。 激論の末の合意の捺印。


オフィスでと言えば、カンボジア人スタッフ(※ 昼夜問わず猛烈に働く営業部隊)の中に放り込まれ、カンボジア人農家との契約書(一応英語訳付き)内容チェックを指示され、書類の束を目の前に呆然としながらも、スキをみてカンボジア人スタッフにカタコト英語で教えを請いながら、何とか確認業務を遂行。


で、夜は出席者ほぼ全員が若手カンボジア人の忘年会に参加し、カラオケで歌って踊ってはしゃぎまくる異常な盛り上がりのクメール宴会を堪能し、




散々飲んだ翌日の朝には、商業銀行のVIPルームに連れ込まれて、見た事もない金額の小切手の最終チェックを任される。




・・以上がこの年の瀬の約一週間、若造が体験した非日常 in バッタンバンの概要である。 

正月返上で年明けまでカンボジアに張り付くこの若造。
日本でいう正月休み期間はほぼ平日で1月1日だけが祝日なカンボジア。 大晦日ギリギリまで激務に埋もれながら、バッタンバンで1人年越しを迎える事になるそうだ。

現在日本の某大学2年生(いわゆるMARCHのどこか、といえば位置づけが分かるらしいw)であるこの若造は、年明け一度日本に帰り、すでに手続き中の大学休学申請と今後の活動原資となる奨学金受け取り(すでに承認済み)を済ませ、2015年早々から1年間カンボジアに張り付くつもりとのこと。 

張り付く先は、若造本人いわく「ゆるく楽しい首都プノンペンではなく、心ゆくまで孤軍奮闘を体感できる主戦場バッタンバン」だそうである


若造撮影。 なぜか農道をひた走るスタッフ達。



この3年ほどで、カンボジアに流入する日本人の数は劇的に急増した。 
在カンボジア日本大使館に在留届けを提出した日本人の数は、3年前にくらべてざっと2倍以上に伸びているはずだ。

その中でも最近特に目立つのは、20代を中心とした「若者世代」がカンボジア長期滞在・移住するケースだ。

いわゆる「自分探し」の類の中長期旅行から各種ボランティア、中長期滞在型の各種体験ツアー、非営利の社会貢献活動、民間企業への現地就職、自ら海外起業などなど、その目的や背景は様々だが、この潮流に対して浴びせられる「大人の視線」も同じく様々で、その「寒暖の差」が極めて大きいのが実情である。

「若者のチャレンジおおいに賞賛すべし、若い頃からの海外体験で学べる事は多い」という温暖系の類から、「世の中をなめてる、悪い大人にダマされてる、ただの現実逃避でしょ」という寒冷系の類まで。 

上記にあげた以外にもいろいろな言い様があるもので、まあ詳細は割愛するが、経験豊かな大人達の多様性に富んだ含蓄ある表現力には、遠回しなクドい言い回ししかできない筆者も学ぶべき所が多い(と思う)。


とはいえ、その類の語りが始まった際、ただでさえ対応できるトークの幅が極めて狭い(≒つまらない話し相手である)筆者が、恐縮ながら一気に話への参加意欲を消失してしまう(≒さらにつまらない話相手になり下がる)のは、その語りの中で「若い世代」や「20代」などの「代名詞」が主語を担っているケースだ。

「具体的な誰それ(固有名詞)」の話でなく、「若い世代」とか「20代」とか、語り手が独自に括り出した「最大公約数(的な代名詞)」で語られる話。
 
そもそも「若い世代」とか「20代」って誰だろう。

20歳〜29歳のA君、B君、Cさん、Dさん、、、の共通項である「20代」を公約数とみなし括り出して、「20代」× (a+b+c+d,,,) と因数分解してみると、「20代」はそれ1つで皆を語れるほど大きい最大公約数で、「a」,「b」,「c」,「d」の差異はほとんど無視できる程小さい因数にすぎない。 
それを明確に意図しているかどうかはさておき、代名詞トークが語っているのは、つまりそういう考え方に基づくお話だ。

一方、2人以上の個人を一括りで語る「代名詞」が使われ始めた段階で、そこからはリアルに今を生きる人間の気配や匂いは一気に消え失せて、同時にナマモノ好きな筆者の興味も消え失せる。。。という所感を持つ筆者のようなタイプもいる(他にもいる、と思う)。


そもそも「XX代(20代、30代など)」、「XX層(F1層、M1層など)」、「ゆとり世代」、「イマドキの若者」、等々の便利な代名詞は、それを使えると都合が良くなる一部の人々が、自らの目的の効率的な遂行のために開発した便利な表現手法である。  

数多くの不自然な「一定の仮定」をおかないと話を全く前に進められない経済学や統計学に携わる人々、

短い尺や行数の中でシンプルな結論を語り切れないと次から出番を失ってリッチな生活を愉しめなくなる事に強烈なアセりを感じ続けるテレビの中や紙面の上の人々、

気難しいお金持ちに一言でササるプレゼンをして大金をせしめる事で自分の優秀さを自分と同じ世界の住民達に提示し続ける必要がある人々、

・・等々の諸事情を抱えた人々にとって、一言で全てを語れるシンプルな代名詞の存在は、彼等の業務(≒生業)を最適に効率化してくれる極めて便利なツールである。

それらの代名詞が使われるトークは、そのほぼ全てが抽象的な「総論」であり、具体的な「各論」である1人1人の個人の生き方に対する教示や示唆がそのトークから産まれて来ることはほぼ皆無だ。

なぜなら、その「総論」の目的が、実際の「各論」に何か教示や示唆を与える事に設定されていないからだ。
その「総論」の目的は、先に述べたとおり、それを使うと都合が良い人々の業務最適化である。 要は彼等の「飯の種」なのだ。

「飯の種」である以上、それは使い勝手が良い、簡単でシンプルなのがいいし、使い回しが効くに越したことはない。 

一回聞かれて「心に突き刺さりました! 明日からそう生きて行きます! ありがとうございました!」と感謝されて終わり、という使い切り型メッセージでは、継続生きていくために次々と新たなメッセージ(≒ ネタ)をこしらえ続けて行く必要がある。 

それでは長く生きて行く上で極めて不便なので、「参考になった気がする。けど具体的に明日からの自分は特に変わっていない。また聞いてみようかな。」くらいのライトなインパクトを聴衆に与える話の方が都合がいい。 

「ゲッツ!」の3文字(!を入れると4文字)だけで何年も食っていける程の究極の簡略化は難しいとしても、ちょっと時間を置いて、もしくは少し言い回しを変えて、また同じ話をしてもきっと同じように面白がって有難がってもらえるような、オチに辿り着かないフワッとした薄めの話がちょうどいい。

結果、明確な目的・意図を持って「総論」はどんどん「抽象化」していく(「具体的な解からは遠ざかって行く」)。 
それがテレビや紙面の語り手から人々に伝わり、人々もその「抽象的な総論」をそれっぽくオウム返しするようになる。


一方、リアルな個人である「具体的な誰それ」が奏でるストーリーは、皆その一編一編が見応え・聞き応えある個性豊かな物語ばかりだ。

在カンボジアの筆者が身近で知っている限りでは、

カンボジアど田舎の学校に張り付いて、聞き分けのない子供達&働かない先生達を相手にクメール語を駆使しながらガチ奮闘しているボランティア先生達も、

更なる僻地で無責任な親からムチャ振りノールックパスされる(しかも増え続ける)孤児達を預かりながら、日々クメール・ストレスと(こちらもクメール語で)向き合ってる孤児院スタッフも、

いきなり田舎の農地に送り込まれて孤軍奮闘する生活に自ら勝手に興奮しているこの若造も、

1人1人のストーリーが、とても一括りの「代名詞」を主語にした「総論」では語りきれない面白おかしいディープな「各論」達であり、巷で聞く「”20代”という代名詞で語られる総論」の薄口な内容とは果てしなくかけ離れている。

そんな面白おかしい「各論」の一編に、いまバッタンバンで縁あってお付き合いしている。。。とまで言ってあげてしまうのは、無邪気に餃子を頬張るこの若造にはまだちょっと盛り過ぎかw





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・・・まさか2014年のトリを日本人若造インターンの話で締めるとは、筆者自身としてもかなりの想定外な本年最後の投稿でしたw

この一年間、拙稿のクドい話にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。

明確な方針も定めないまま本年頭からスタートした本稿ですが、総投稿数67と、1年を52週くらいと捉えるとまあ1週間に1本以上は書いているペース。 
意外と安定的に書き続けられたものだ、、と少し自分に驚いたりしています。 

本稿を楽しみにして頂いていると、稀にカンボジアでお声かけ頂く事もあり、恐縮ながら大変嬉しく思っております。 
引き続き、読んでいただいた方々に幾ばくかでもお役に立てる内容を、徒然に書いて行こうと思っております。 
文章のクドさ、長さについては、まあマイペースで改善を図っていこうと考えてはおりますが、懲りずにお付き合いを続けて頂けますと幸いです。

本年も大変御世話になりました。 来年が皆様にとって良い年になりますように。

JCGroup 髙 虎男(Ko Honam)
                               

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