2014/12/31

総論と各論:とある日本人20歳若造の非日常 in カンボジア

とある20歳の日本人男性(以下「若造」)がカンボジアの片田舎バッタンバンで孤軍奮闘中であるw




日本から格安航空を乗り継ぎカンボジア首都プノンペンに深夜到着。 そのままプサータメイ(新市場)近くで完徹して朝を迎え、業務用品の入った大きなキャリーケースを担いだまま早朝バスに飛び乗り(※大き過ぎる荷物乗せるためにバス会社と直接交渉)、陸路5時間かけてバッタンバンに到着。


いきなり現地農家と交渉しに行く出張への同行を命じられ、ボロボロ中古車に揺られながら片道3時間のド田舎悪路を走破(※ 揺られる具合は、筆者の体感的にはディズニーランドのアトラクションの5〜10倍くらい。若造いわく「富士急ハイランドのFUJIYAMAクラス」w)。 


若造撮影。 まだ写真が取れる揺れレベルの農道にて。


悪路の大揺れに負けじと体を車内で支えつつ、遠路はるばる辿り着いた先では、弊社営業部隊と農家さんとの侃々諤々の交渉(当然クメール語)に全く入れず呆然と横で見つめるのみ。 
トラクター等の大型農機はその値段が数百万円相当、カンボジア人農家にとっては一生に一度(と言えるくらいの)大きな買い物。  会話のトーンは柔らかでも、口調の端々からほとばしる迫力にペーペーの日本人若造が軽く気圧されてしまうのもムリはない。


若造撮影。 激論の末の合意の捺印。


オフィスでと言えば、カンボジア人スタッフ(※ 昼夜問わず猛烈に働く営業部隊)の中に放り込まれ、カンボジア人農家との契約書(一応英語訳付き)内容チェックを指示され、書類の束を目の前に呆然としながらも、スキをみてカンボジア人スタッフにカタコト英語で教えを請いながら、何とか確認業務を遂行。


で、夜は出席者ほぼ全員が若手カンボジア人の忘年会に参加し、カラオケで歌って踊ってはしゃぎまくる異常な盛り上がりのクメール宴会を堪能し、




散々飲んだ翌日の朝には、商業銀行のVIPルームに連れ込まれて、見た事もない金額の小切手の最終チェックを任される。




・・以上がこの年の瀬の約一週間、若造が体験した非日常 in バッタンバンの概要である。 

正月返上で年明けまでカンボジアに張り付くこの若造。
日本でいう正月休み期間はほぼ平日で1月1日だけが祝日なカンボジア。 大晦日ギリギリまで激務に埋もれながら、バッタンバンで1人年越しを迎える事になるそうだ。

現在日本の某大学2年生(いわゆるMARCHのどこか、といえば位置づけが分かるらしいw)であるこの若造は、年明け一度日本に帰り、すでに手続き中の大学休学申請と今後の活動原資となる奨学金受け取り(すでに承認済み)を済ませ、2015年早々から1年間カンボジアに張り付くつもりとのこと。 

張り付く先は、若造本人いわく「ゆるく楽しい首都プノンペンではなく、心ゆくまで孤軍奮闘を体感できる主戦場バッタンバン」だそうである


若造撮影。 なぜか農道をひた走るスタッフ達。



この3年ほどで、カンボジアに流入する日本人の数は劇的に急増した。 
在カンボジア日本大使館に在留届けを提出した日本人の数は、3年前にくらべてざっと2倍以上に伸びているはずだ。

その中でも最近特に目立つのは、20代を中心とした「若者世代」がカンボジア長期滞在・移住するケースだ。

いわゆる「自分探し」の類の中長期旅行から各種ボランティア、中長期滞在型の各種体験ツアー、非営利の社会貢献活動、民間企業への現地就職、自ら海外起業などなど、その目的や背景は様々だが、この潮流に対して浴びせられる「大人の視線」も同じく様々で、その「寒暖の差」が極めて大きいのが実情である。

「若者のチャレンジおおいに賞賛すべし、若い頃からの海外体験で学べる事は多い」という温暖系の類から、「世の中をなめてる、悪い大人にダマされてる、ただの現実逃避でしょ」という寒冷系の類まで。 

上記にあげた以外にもいろいろな言い様があるもので、まあ詳細は割愛するが、経験豊かな大人達の多様性に富んだ含蓄ある表現力には、遠回しなクドい言い回ししかできない筆者も学ぶべき所が多い(と思う)。


とはいえ、その類の語りが始まった際、ただでさえ対応できるトークの幅が極めて狭い(≒つまらない話し相手である)筆者が、恐縮ながら一気に話への参加意欲を消失してしまう(≒さらにつまらない話相手になり下がる)のは、その語りの中で「若い世代」や「20代」などの「代名詞」が主語を担っているケースだ。

「具体的な誰それ(固有名詞)」の話でなく、「若い世代」とか「20代」とか、語り手が独自に括り出した「最大公約数(的な代名詞)」で語られる話。
 
そもそも「若い世代」とか「20代」って誰だろう。

20歳〜29歳のA君、B君、Cさん、Dさん、、、の共通項である「20代」を公約数とみなし括り出して、「20代」× (a+b+c+d,,,) と因数分解してみると、「20代」はそれ1つで皆を語れるほど大きい最大公約数で、「a」,「b」,「c」,「d」の差異はほとんど無視できる程小さい因数にすぎない。 
それを明確に意図しているかどうかはさておき、代名詞トークが語っているのは、つまりそういう考え方に基づくお話だ。

一方、2人以上の個人を一括りで語る「代名詞」が使われ始めた段階で、そこからはリアルに今を生きる人間の気配や匂いは一気に消え失せて、同時にナマモノ好きな筆者の興味も消え失せる。。。という所感を持つ筆者のようなタイプもいる(他にもいる、と思う)。


そもそも「XX代(20代、30代など)」、「XX層(F1層、M1層など)」、「ゆとり世代」、「イマドキの若者」、等々の便利な代名詞は、それを使えると都合が良くなる一部の人々が、自らの目的の効率的な遂行のために開発した便利な表現手法である。  

数多くの不自然な「一定の仮定」をおかないと話を全く前に進められない経済学や統計学に携わる人々、

短い尺や行数の中でシンプルな結論を語り切れないと次から出番を失ってリッチな生活を愉しめなくなる事に強烈なアセりを感じ続けるテレビの中や紙面の上の人々、

気難しいお金持ちに一言でササるプレゼンをして大金をせしめる事で自分の優秀さを自分と同じ世界の住民達に提示し続ける必要がある人々、

・・等々の諸事情を抱えた人々にとって、一言で全てを語れるシンプルな代名詞の存在は、彼等の業務(≒生業)を最適に効率化してくれる極めて便利なツールである。

それらの代名詞が使われるトークは、そのほぼ全てが抽象的な「総論」であり、具体的な「各論」である1人1人の個人の生き方に対する教示や示唆がそのトークから産まれて来ることはほぼ皆無だ。

なぜなら、その「総論」の目的が、実際の「各論」に何か教示や示唆を与える事に設定されていないからだ。
その「総論」の目的は、先に述べたとおり、それを使うと都合が良い人々の業務最適化である。 要は彼等の「飯の種」なのだ。

「飯の種」である以上、それは使い勝手が良い、簡単でシンプルなのがいいし、使い回しが効くに越したことはない。 

一回聞かれて「心に突き刺さりました! 明日からそう生きて行きます! ありがとうございました!」と感謝されて終わり、という使い切り型メッセージでは、継続生きていくために次々と新たなメッセージ(≒ ネタ)をこしらえ続けて行く必要がある。 

それでは長く生きて行く上で極めて不便なので、「参考になった気がする。けど具体的に明日からの自分は特に変わっていない。また聞いてみようかな。」くらいのライトなインパクトを聴衆に与える話の方が都合がいい。 

「ゲッツ!」の3文字(!を入れると4文字)だけで何年も食っていける程の究極の簡略化は難しいとしても、ちょっと時間を置いて、もしくは少し言い回しを変えて、また同じ話をしてもきっと同じように面白がって有難がってもらえるような、オチに辿り着かないフワッとした薄めの話がちょうどいい。

結果、明確な目的・意図を持って「総論」はどんどん「抽象化」していく(「具体的な解からは遠ざかって行く」)。 
それがテレビや紙面の語り手から人々に伝わり、人々もその「抽象的な総論」をそれっぽくオウム返しするようになる。


一方、リアルな個人である「具体的な誰それ」が奏でるストーリーは、皆その一編一編が見応え・聞き応えある個性豊かな物語ばかりだ。

在カンボジアの筆者が身近で知っている限りでは、

カンボジアど田舎の学校に張り付いて、聞き分けのない子供達&働かない先生達を相手にクメール語を駆使しながらガチ奮闘しているボランティア先生達も、

更なる僻地で無責任な親からムチャ振りノールックパスされる(しかも増え続ける)孤児達を預かりながら、日々クメール・ストレスと(こちらもクメール語で)向き合ってる孤児院スタッフも、

いきなり田舎の農地に送り込まれて孤軍奮闘する生活に自ら勝手に興奮しているこの若造も、

1人1人のストーリーが、とても一括りの「代名詞」を主語にした「総論」では語りきれない面白おかしいディープな「各論」達であり、巷で聞く「”20代”という代名詞で語られる総論」の薄口な内容とは果てしなくかけ離れている。

そんな面白おかしい「各論」の一編に、いまバッタンバンで縁あってお付き合いしている。。。とまで言ってあげてしまうのは、無邪気に餃子を頬張るこの若造にはまだちょっと盛り過ぎかw





ーーーーーーー
・・・まさか2014年のトリを日本人若造インターンの話で締めるとは、筆者自身としてもかなりの想定外な本年最後の投稿でしたw

この一年間、拙稿のクドい話にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。

明確な方針も定めないまま本年頭からスタートした本稿ですが、総投稿数67と、1年を52週くらいと捉えるとまあ1週間に1本以上は書いているペース。 
意外と安定的に書き続けられたものだ、、と少し自分に驚いたりしています。 

本稿を楽しみにして頂いていると、稀にカンボジアでお声かけ頂く事もあり、恐縮ながら大変嬉しく思っております。 
引き続き、読んでいただいた方々に幾ばくかでもお役に立てる内容を、徒然に書いて行こうと思っております。 
文章のクドさ、長さについては、まあマイペースで改善を図っていこうと考えてはおりますが、懲りずにお付き合いを続けて頂けますと幸いです。

本年も大変御世話になりました。 来年が皆様にとって良い年になりますように。

JCGroup 髙 虎男(Ko Honam)
                               

2014/12/24

2大国家プロジェクトの「終わりの始まり」 in カンボジア


クリスマスからも年末からもすっかりガラパゴス感(隔離感、断絶感、etc)に満ちあふれたカンボジア地方拠点バッタンバン。 

首都プノンペンであれば(かつ在住外国人社会であればなお)それなりにそれっぽさを感じられるような気もするが、その気配すら全くと言っていいほど感じさせない我らが農業拠点。
まあ邪念にとらわれず事業に勤しむにはいい環境である。 いや、そう自分に言い聞かせているだけである。

そんな中、年末イベント第1弾のクリスマスが迫った(事がカレンダーの日付だけで認識できる)バッタンバンで、ちょっと気になる現地ニュースが目に入ったので今日はその話。

ほろ酔い状況で書き始めて前振りだけで力(と時間が)尽きてしまった前回ブログとは無関係なお話で恐縮です(あの続きは書く気あるのだろうか自分。。)。

まあそれはさておき、気になったニュースというのは、カンボジアで数年前から始まっていた有名大型国家プロジェクト2件から主要外資企業がほぼ同時に手を引いたお話である。

ほぼ同時期にリリースされたのは偶然なのか別理由があるのか、勘ぐり始めるとキリがないが、表面的な情報をなぞるだけでもかなり似たような構造要因を持つ話に見えるので、拙稿で恐縮だが取り上げてみたい。

まずその2つのお話の概要を(私見を交えて)以下;

.
シンガポール上場デベロッパーHLH社が、プノンペン中心地北寄りに位置するボンコック湖埋立地開発エリア1.3ヘクタールの購入契約を撤回した(20141220日現地紙プノンペンポスト)。

HLH社にこの埋立地を切り売りしようと画策していたのは、某カンボジア上院議員が会長を勤める現地企業Shukaku (何故か日本語の「収獲」を社名にしたとか。。親日?w)
そのShukakuが、カンボジア政府から100ヘクタールの埋め立て用地(というか湖)の99年間に及ぶ長期賃借権を授与された事を受け、せっせと湖の埋め立てを開始したのは2007年。

人気フリーマガジン「クロマー」についているプノンペン地図。中央左よりの大きな緑のスペースがその埋め立て地。



この長期賃借権(Long term leasing)は、外国人に対して政府が土地の使用営業権を認める経済的土地営業権(Economic Land Concession)とヒモ付き(とうか一体)となっていて、Shukakuとしてはこの埋め立て地を優良外資デベロッパーに切り売りしつつ、彼等に外資ならではの最先端開発を進めてもらって、この埋立地にプノンペンのハブ的な中心地となるビジネス・商業施設を作り上げる腹づもりなのだ、と思われる。
(各種リリース情報に基づく筆者の妄想)

その記念すべき最初の切り売りとなるはずだった1,490万米ドル(18億円)の土地売買契約をあっさり白紙撤回したHLH社いわく、

「取引実施の前に詳細なデューデリジェンス(投資対象の価値やリスクを評価するための調査、いわゆるデューデリ)が必要であった。」

「実質的な強制退去に対し、今も抵抗・反対運動を続けている約2万人の元・現住民達との和解が、成立の見通しすら立っていない。」

「手付けで払った146万米ドル(約1.8億円)は回収した。」

デューデリとは何かに投資するにあたっての収益性やリスクを評価する手続きだから、それを行った結果手を引いたという事は、しっかり儲かるかどうかを多方面から秤にかけた結果、やるべきでないプロジェクトであるという判断に至ったのであろう。

住民の反対運動に対しては2011年、事態を重く見たフンセン首相御自らお達しで、Shukakuにリース権を渡した埋立地のうち12.44ヘクタールを住民に割り当てるよう号令を発したが、それっぽっちじゃ焼け石に水、と言わんばかりに土地権利証を求める元・現住民がいまだ役所に長い列をなしている。


2.
オーストラリア上場の物流大手Toll Group(以下T)は、カンボジア国営鉄道プロジェクトToll Royal Railway(以下TRR) の持分55%を、共同出資パートナーである現地財閥Royal Groupに売り渡した。(20141222日現地紙プノンペンポスト)

カンボジア政府がTRRに対し、30年間に及ぶカンボジア鉄道網の営業権(Concession)を授与したのは2009年。

TRR
は、アジア開発銀行とオーストラリア政府による総額14,300万ドル(172億円)におよぶカンボジア鉄道復旧プロジェクトの一環である。

このプロジェクトが無事完了したあかつきには、首都プノンペンとカンボジア唯一の深海港を擁するプレハシアヌークを結ぶ254Km、及び首都プノンペンとタイ国境の街ポイペトを結ぶ388Kmの鉄道が見事復活を遂げる、ことになっている。

現地紙プノンペンポスト(Web版)の当記事より拝借した写真



この壮大なプロジェクトの担う第一人者的な立ち位置から早々と“エグジット(売却・手仕舞い)”したT社いわく、

「しばらくやってみたが、思ったより儲からないことがわかった(generating lower-than-expected returns over a period of time)」。

「この2年間、(プロである我々以外の)現地業者による1歩進んで2歩下がるような(setbacks and delays)遅々とした線路復旧作業が、効率的な作業進捗を妨げた事実は否めない」。

また、アジア開発銀行の「内部監査(Internal Audit)」の結果、このプロジェクトによって移住を余儀なくされる4,000世帯以上の住民との間の再定住先や補償の話が全くまとまっていないことが判明した。この事実もT社による早々の離脱決意をうながしたようだ。 

・・・とまあ、以上がこの2つの国家プロジェクトの「終わりの始まり」に関する、筆者の愚考も多少交えた概要だが、筆者が思うにこの類のお話にはいつもいくつかの共通項がある。 

(1)そもそも壮大すぎる物語である。
 カンボジアの政府・民間、上から下までの諸々レベル(意識、経験、etc)などを総合的に勘案し、かつ物語の規模をしっかり定量化して眺めてみると、美しく壮大なスペクタクルを超えてタダの荒唐無稽な妄想話に聞こえてしまう類。

(2)少しかじってみると、Sustainableではない(持続可能でない、要は儲からない)話であることが分かる。
 プロジェクトの規模にもよるが、だいたい最初の出だし期間のうちに、1歩進んで2歩下がる諸々の進捗(というか停滞・後退)を目の当たりにし、当初に立てた美しい事業計画は根底から覆され、予定していた期間と費用を数倍、予定していた収益を数分の一にせざるを得ない事に気がつく。

(3)政府は結局、グズる国民を制御できない。
 カンボジア事情通が(1)を感じ、聡明なプロジェクトオーナーが(2)に気付く大きな要因の1つ。 辞令1枚で1週間後には人を軽く地方に飛ばせる日本の銀行人事部以上に強大な人事権を自国民に対して持っている(強制退去・移住も何でもありな)中国共産党と、さもそれと同等の強さを持っているように見せる&語るのが得意なカンボジア人民党の歴然とした違い。 自己主張は控えめでも、こと自分の権利についてとなるとかなり頑固で譲らないカンボジアの民を、政府が何とかしてくれる事が話の前提になっているプロジェクトはだいたい頓挫 雲行きが怪しくなる。


今回のお話の主役である両先進国(シンガポールとオーストラリア)の上場企業は、おそらくは(1)政府系プロジェクトである事で信頼補完された美しく壮大なストーリーに乗ってみて、(2)ちょっとやってみたら持続的運営はとても不可能な与太話である事に気付いて、(3)政府が意外とリキないことも早々と察し、さすがの判断力で被害が小さいうちにさっさと「損切り」を決めた(のだと思う)。

ここでさっくり損切りできるのが、さすが拠点はアジア・オセアニアでも意識はすっかり欧米系な両国上場企業。 
同じ先進国でも損切りできないウェットな生粋アジア系の方々もおそらくいて、その方々はカンボジアにとってずっと優良顧客であり続けるのだろう。 



・・・と、こんな時事ネタのフリをした妄想話を、クリスマス&年末感が皆無なバッタンバンで書いています、、と書いた冒頭に少し戻って少し訂正させて頂くと、書いているのはバッタンバンではあるが、現在進行形でプノンペンに戻っている最中(というか車中)である。 
位置情報をより正確に訂正すると、バッタンバンから隣州ポーサットに差し掛かってしまっている(今このくだりの執筆時点)w

クリスマス&年末感を感じるために 月末&年末の業務を片付けにいくプノンペンへの道すがら、何となくお詫びと訂正で本稿の締めとさせて頂きます。

確か今夜はワイン会クリパ♩ 御世話になっている方々へのご挨拶会w

2014/12/20

その定石は通じません in カンボジア(1)

商売を営む多くの方々が、ご自身の商売を通じてorそのために必要な勉強を通じて、経験則的に分かっているor知識的に理解している、商売におけるいくつかの定石がある。

その中の代表例の1つが、

「たくさんやれば(長く続ければ)コストは下がっていく」

というものだ。

例えば何かを作るための機械を100万円で買って、その機械を使って商品をどんどん作っていくとする。

商品を10個しか作らなければ、商品1個あたりに賦課する(=負担させる)機械コストは10万円だが、1,000個作れば1個あたり1,000円まで下がる。

機械が壊れないまま商品を作り続けられるとすれば、生産個数はどんどん増えていって、結果として機械代金を商品1個あたりに負担させるコスト(以下、単位コスト)はどんどん下がって行く。
(途中、故障したり部品交換したり、というコストは別途かかるけれど)


このような実際に払ったお金の単位コスト以外にも、たくさんやればやるほどコストが下がる要因がある。 それは経験だ。

機械を買ったばかりの時は操作に不慣れだったスタッフも、商品を100個、1,000個と作って行くうちにどんどん習熟してくる。
その数が1万個に到達する頃には、素人だった最初の頃にくらべて、みんな格段に上手に作れるようになっている事だろう。

作業効率が格段にアップし、1人のスタッフが同じ時間でよりたくさんのより良い商品を作れるようになり、ノルマをこなすのに残業時間も減り、粗悪品の返品やクレームなども減り、その他諸々いろんな形でコスト逓減に貢献する。

金額的な単位コストが生産量増加におうじて逓減していく(商品一個あたりが負担するコストが減って行く) + 経験の累積で作業効率がアップする等のいい効果が現れて結果的にコストが逓減していく(上手になってムダが減る)。

要はたくさん作れば作るほど(業務すれば業務するほど)、単位あたりコストは下がって行くわけだ。


言われてみればそんな事、考えれば誰でも分かる当たり前の話で、わざわざクドクド順序立てて説明してもらうほどの話でもない、、という所感を抱かれるのはごもっとも。

ところで話は何十年か前に遡るが、とある聡明な先生が、この当たり前の話をそれっぽく数値的に立証して分かりやすいグラフに書いて、「経験曲線(Experience Curve)」というたいそうな名前をつけて、とある大きな会社に提言した。 


「たくさん作れば作る程(グラフで右に行けば行く程)、単位コストは下がりますよ」


その大きな老舗優良会社は、自社と似たような商品をよりカッコ良く売る同業他社との競争に疲れ切っていて、このままだともう潰れてしまうかもしれない、と真剣に悩んでいた。

そんな悩める経営陣に対して、その聡明な先生はズバッとこう言い切った。

「まだたいして作ってもいない(生産量が少ない)くせに、単位コスト以上の値付けしてちっちゃく儲けようとするんじゃない。 最初は我慢して単位コストより低い値段で売り出しなさい。 そうすれば他商品よりたくさん売れて、単位コスト下がって、後で大きく儲かるから、きっと。」


結果、先生の言葉に賭けてみる決意をしたこの悩める老舗優良企業は、ライバル会社がびっくりするような低価格で商品を売り出し、ものすごい勢いで売上(ひいては生産量)を伸ばし続けた。

当初ライバルは皆「あんな価格で売り続けていたら利益が出るわけがない、とうとうあの会社も長くないな」とせせら笑っていたが、どっこい先生の予言は的中し、その会社は莫大な利益を上げ続け、とうとうライバル商品を市場から駆逐してしまった。


その律儀な老舗優良企業は、その先生を救世主とあがめ、その感謝と敬意を表するため、自らの年次報告書に事の仔細を公開した。 この先生のおかげで弊社は大成功しました、と。

結果、このストーリーは企業経営戦略論の歴史的トピックとなり、この先生(が率いる経営コンサルティング会社)その名を世界に響かせた。

・・・とまあ、そのコンサルティング会社の日本代表だった方から聞いた話の受け売りなので、多少(というかかなり?w)の脚色があるかもしれないが、大筋は合っているはずの歴史的事実inアメリカである。

・・・・で、この小国カンボジアの小ネタを披露する事を主眼におく拙稿で、筆者が何を話したかったかというと、この誰もが知ってる(もしくは聞けば分かる)定石は、カンボジアでは実務上驚く程通用しませんよ、という話・・だったのだが。


時間が尽きた、というか、力尽きた、というか、、次回続きを書きます、、たぶん<(_ _;)>



2014/12/09

カンボジア人との会話に潜むワナ:もしもピアノが弾けたならw

最近あった、とある日本人事業家Aとその取引先カンボジア人Bとのやりとりのお話。

Aさん(日本人)とBさん(カンボジア人)の取引についての話なのだが、現実の彼等の取引内容が類推できてしまうのもよろしくないので、簡単な架空事例として以下と設定しておく。
・AさんはBさんからモノを100ドルで買いたい
・BさんはAさんにモノを120ドルで売りたい

なお、実際の彼等の取引はモノの売買ではない。が、取引の中身は何かというのは今回の話の本質とは関係ないので、実際の性質が異なる架空事例でも本稿では問題はない。

というわけで、上記設定を踏まえて頂いたうえで以下;


ある日、Bさんが嬉しそうに筆者に近寄って来て
「Aさん、ワタシのモノ、120円で買ってくれることになたよ♩」
と伝えてきた。

Aさんがそのモノを120円で買うわけがない事を知っている筆者は、Aさんに
「ホントに120円で買うんですか?」
と確認。

Aさんいわく
「まさかw。 ただ『XXだったとしたら、120円で買う事も考えられるよ』とは伝えたけどね。 XXだったら、それだけで20円分の価値はあるからさ。 考えてもらう意味はあるかな、と思ってね。


抽象的なうえアルファベット記号が多い話で大変恐縮だが、端的に上記の話の骨子をまとめると、要は以下のような話である。
・Aさんは『αだったらβだよ』と伝えた(「XXだったら120円で買うよ」)。
・Bさんには『βだよ』とだけ伝わった(「120円で買うよ」)。

Aさんが最も伝えたかった『αだったら』の部分がすっぽり抜け落ちて、Bさんには最も聞きたかった『(無条件で)βだよ』という形で伝わってしまっている。
むしろAさんの本心としては『(αじゃないなら)βじゃないよ』と言っているのに。 
 
Bさんが自分の聞きたい部分だけ聞きたいように聞き取っているようにも見えるし、事実そういう側面もあったりするw
何にせよ、これ以上ない真逆な伝わり方で、実は極めて危険なミス・コミュニケーションに陥っている状況、とも言える。

実はこのパターンの認識のズレによる諸事は(トラブルに発展するケースも)結構ある。

当然、この事例のようなシンプルはパターンはレアにしても、よくよく突き詰めるとこの事例と同じ要因に辿りつくケースが多かったりする。(筆者の知る限り)

この『αだったら』部分の抜け落ちについて、Aさんは自分の英語力を嘆くかもしれないし、通訳を通していたならその通訳の不正確さ(実力不足)に逆上したかもしれない。

しかし、これはAさんもしくは通訳個人の「ツールとしての言語力(語学力)」に起因する個別偶発な話ではなく、構造的な要因により誰にでも起こりうる話である、と筆者は思っている(私見)。


筆者私見として考える、その『αだったら』の抜け落ちの真因は、Bさんが聞きたい所だけ聞き取っている我田引水な勝手解釈ではなく、Bさんにとって『αだったら』の部分が「(脳で)識別できない表現」である事だ。 

これは例えば、犬やイルカなら聞こえる超音波に近い音が、ヒトには「(耳に)聞こえない音域」であるのに近い(気がする)。



ちょっと苦い思い出に触れる話かもしれないが(読み飛ばし可w)、日本で中学・高校に通われた読者皆様であれば、英語の授業で「仮定法」という文法を習った事が(遠い記憶の彼方に)あろうかと思われる。

「もしも私があなただったら」という表現を英語にすると「If I were you」、と(何故か「was」じゃなくて「were」という形で)過去形にする、、云々、という誰もがキライだったあの英文法のお話。

現在の状況とは異なる仮定の話を言う時に、何故か英語では過去形にする。

私があなたではないのは今時点なのに、なんで過去形にするのか? 
 
って、そういえば日本語でも「もしも私があなた”だったら”」と過去形っぽい言い方をするな、、なんでだろう?

・・というような禅問答的な苦行を、日本ご出身の皆様であればおそらく一度か二度は体験したことがあるはずだ(忘却の彼方にあっても何の問題もない)。


結論を端的にいうと、上記(仮定法過去)というのは気取った先進国特有の表現で、

「今はそうじゃない」

という状況を

「もしも過去からそうだったとしたら、今もそうかもしれない(けど、実際は過去からそうじゃないし、今もそうじゃないよね)」

と遠回しに表現するこましゃくれた言い回しだ。

会話はその場を楽しませる事を是とすべき、と信じて疑わない上流階級な立ち位置の方々としては、話の相手が誰であれ、直接否定的な言葉を浴びせるなんてもっての外。 
あえて遠回しな仮定の肯定を経由して(裏を返すと)現実の否定を示唆している(かつ相手にそれを察することを要求する)、という優雅な関係醸成コミュニケーションを源流に生まれた、極めて面倒くさい表現手法である。

それを踏まえて、先ほどの事例の骨子の部分を直球な表現に言い直すと;

『αだったらβだよ(仮定)』 = 『αじゃないからβじゃないよ(現実)』

「XXだったら120円で買うよ(仮定)」=「XXでないなら、120円じゃ買わないよ(現実)」

と言っているわけだ。 

主に欧印系が頻発する「違うっしょ?」と言えばいいのに「私はそうだとは思わないが」と言い回す(結果、英文メールがムダに長くなる)アレと同類の表現である。


この類の表現は、以下の条件にあてはまる諸国民によく見られるケースである(気がする)。
(1)母国語の文法に時制(過去・現在・未来)がある
(2)身分等による階層区分があり、その階層別に遮断されたコミュニケーション手法が醸成されている
つまり、欧米日的な先進諸国である。


日本にもある例を挙げるとすれば、

「もしもピアノが弾けたなら、想いの全てを歌にして君に伝える事だろう」

とは仮定の例え話をウタっていて(確かに”弾けた”と過去形になっている、つまり仮定法過去w)、現実を直視すれば

「実際ピアノが弾けないから、想いの全てを歌にして君に伝える事なんてできないよ」

というのが身も蓋もないストレートな表現になる。

確かに前者の言い方でしか歌謡曲の名フレーズにはなりえないな、、と感じられるとすれば、それは立派な先進国の民である証だ。


翻って我らがカンボジアでは、まずそもそも(1)の条件にあてはまる「時制」がない。
正確にはあるらしいのだが、実際の口語コミュニケーションではほぼ使われない、という。

「私は昨日ごはんを食べました」

ではなく

「ワタシ、タベル、ゴハン、キノウ」

で、最後の「キノウ」によって、「タベル」が過去に行われた(食べた)事である事が間接的に規定される、という状況(らしい)。


そもそも時制(過去形)がない。 
そのうえ、それを前提にしたこましゃくれた話法も醸成されていない。

つまり、カンボジアの国民に対し、仮定法過去(もしくは過去完了)を使っても、その部分は彼等に全く認識されない(彼等の脳に響かない、届かない)のである。


そもそも「昨日」とか明確な過去を示す付随単語ナシで文法的に過去形で何か言われても「?」だし、それが「現状に対して逆説」になっているなんて更に「??」となるわけである。 言葉として耳に入ってはきても、脳がそれを認識しない。

これが『αだったらβだよ』の前半が抜け落ちて『βだよ』だけが伝わってしまう真因である(筆者の完全な私見w)

伝え手としては、『αだったらβだよ』と言いながら、本音では『αじゃないからβじゃないよ』と伝えたいのに、受け手(カンボジア人)には『・・・βだよ』と真逆に伝わってしまう、まさにカンボジア人とのトークにおける「仮定法のワナ」。


対カンボジア人的にはかなりハイリスク(ノーリターン)な言い回しとなってしまうこの仮定法。 

要な何が言いたいかというと、

「カンボジア人に何か伝える時はシンプルに」。
『αだったらβだよ』 →『(αでもないんだから)βなわけないじゃん』という直球ストレートど真ん中・現実直視の言い方が吉、である。

・・要は上記最後の3行が言いたかっただけなのだが、、一番遠回しで面倒な言い回しをしているのはどうやら本稿のようであるw


2014/12/05

不可思議なお店達 in バッタンバン

カンボジア地方の農業拠点バッタンバン。
ほぼ毎週プノンペン(カンボジア首都)から陸路5時間くらいかけて来訪している、筆者的には実質的にホームグラウンドと言えるド田舎である。

ド田舎とはいえ、カンボジア第二の都市と今でも一応言われているだけあり、それなりに少しずつ街は進化してきている。 
首都プノンペンの局地的な異常進化には及ばすながらも、追いつかない程ではないペースで新しい店などがチョットずつ生まれたりしている可愛い変化に勝手に癒されたりしている、そういう感じの街バッタンバン。


馴染みの餃子屋が意味の分からない引っ越し(看板を新装した直後に、隣3件目あたりに何故かいきなり移転・・で数日休業)したり、まあその他ワケの分からない事いろいろあり、さて今日の夕食どうしよう、、という状況になって、「あ、そういえば」と思い出した、前々から気になっていたあの店に行ってみた。





店の名前は「BTB PIZZA」。 バッタンバン・ピザである。
何故バッタンバンでピザなのか。 他にチェーン店もある中、独立系で看板を出している孤高のお店。


前から何となく気になっていて、いつか来ようと思っていた当店。 ワケ分からない休業な餃子屋にフラれた腹いせにチャレンジしてみようと決意。


とりあえず適当なピザとビールをオーダー。 ビールは今まで見た事ないカンボジア産ビール。。。シアヌークビルで製造しているらしいが、楽しい時間を期待させてくれるいい感じの出だし。






で、ピザを作り始めた店員。 何か求道者的なものを感じさせる背を見せつつ、思い詰めた感じでピザを(素手で)こねつづける(見た目)中東系な彼。。









何か取り憑かれたように、ほぼ素手でピザをこねてトッピングする彼。
思い詰めた感満々の背中を見ていると、求道者なのかテ●●●ト崩れなのか●●中毒系ジャ●●●なのか判別がつかない。。


で、焼き上がったピザをしばらくの間、かなりのガン見な凝視で見つめつつ、、、




おもむろに切り分け始める。



切り分ける。







・・・で、味わってみると、それなりに美味しいクリスピー系なピザ。






もっちり系がお好きな方には物足りないかもれないが、まあホントに及第レベル(筆者私見)。







・・・何より、その求道者感満々だった彼、ピザ食べた後聞いてみたら、中東系でも何でもなく、ニュージーランド出身の気楽な旅人だったww

店長のフランス人と仲良くお店をやってるらしく、並んで写真頼んでみたら笑えるくらい気楽な感じで応じてくれた。 



写真を向けてみたらこの笑顔。 ストイック系求道者(かテ●●●トか●●ンキー)の印象はガタ崩れである。。。。
まあ勝手に求道者感を抱いたのは筆者であって、彼には何の責任もない。





求道者(?)ピザを味わったあと、帰路で見つけた新しい屋上バー。
開店初日だったようだが、いろいろ現れつつあるバッタンバン。。。







求道者もどき(w)のピザ屋同様、ツッコミどころ満載のバーだったが、それはまた改めて。。

面白い街である。 更なる不可思議な進化を期待しつつ、引き続き頑張ろう。