2019/05/01

令和元年初日:平成の振り返り(備忘録)

昨日2019年4月30日に平成が終わり、今日から令和の時代の幕明けです。

発信をFBに絞った関係でほとんどアップしない本ブログとなりましたが、昨日平成最後の夜に自身の平成時代を振り返った備忘記録をFBにアップしたものをアーカイブ的に残しておこうかと。
以下、ほぼほぼFBからのコピペです(少し加筆)。

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平成最後の夜はカンボジア北西部の田舎町バッタンバンで1人。
特に意図していたわけではないけど特に夜の予定なかったので酒抜き節制モードで平成を終えようと思い立ち、1人ローカルサウナに篭って平成を振り返ってみました。
せっかくなので読み飛ばし頂く前提で備忘録的にアップします(後で恥ずかしくなって削除するかもですw)。 
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平成元年、自分は中学2年生。
生まれも育ちも東京下町だったけど在日外国人の閉鎖社会にいた自分がその社会から「脱出」する事を決意した年。そこから日本高校受験が終わるまで、
先生や同級生からの「祖国を裏切って日本人になるのか」的な空気と圧力の中での2年間は、今振り返っても人生で最もきつい時期でした。

平成2年〜8年の高校・大学時代はある意味本当にパラダイス。「勉強しとけば賞賛される」という、中学までの戦闘力(≒対日本人ケンカ実績)でヒエラルキーが決まる閉鎖社会で被支配層に属しているのが当たり前だった頭でっかちな自分からすれば信じられない自由社会を存分に満喫してました。
世の中は後講釈的に言えばバブルの絶頂期から緩やかに崩壊に向かってましたが、幸か不幸か華やかなバブルの宴には残り香にすらあやかれず。

平成8年大学最終年度から監査法人で働きはじめ、平成9年4月にいよいよ日本の社会人に。
その年7月に東南アジア発の通貨危機が勃発、11月に三洋証券、北拓銀行、山一証券が逝き、山一社長が号泣する姿がテレビで延々と流れ、何が起こっているのかさっぱりわからなかった新卒1年目。
平成8年から平成13年の監査法人時代は、金融ビックバンに並行した会計ビックバンの激動真っ只中。
連結・キャッシュフロー・税効果・時価会計など新たな制度が次々と導入される混乱の最中、顧客企業と二人三脚で「新しいルールを学び正しい数字を一緒に作る」という今の監査業界ではあり得ない状況の中、おかげさまで数多くの貴重な勉強・体験をさせていただきました。

平成13年、戦略コンサル兼ベンチャーキャピタルの創業期ベンチャーに滑り込み。
そこから丸7年、20代後半の若造の分際で大企業幹部様に戦略を語るという無茶苦行を何とかしのぎ、ベンチャー投資でいくつかの運が良かった大成功とその数倍の数の大失敗を繰り返し、何とか運良く生き延びている間に会社は一部上場企業となり、うっかり古株になってた自分に執行役員を任せて頂けるなど、身に余る素晴らしい勉強・体験をさせていただきました。

平成20年、同社会社員としてマレーシア、ベトナムの事業を体験させて頂いたきっかけで出会ったカンボジアでの起業を決意。 監査法人時代と合わせ12年の会社員生活に終止符。
同年9月、カンボジアに会社を設立し起業スタートした2週間後、世界にリーマンショックの激震が走りました。 えらいタイミングで船出しちゃったけどもう後戻りは出来ないと覚悟を新たにせざるを得なかったのを鮮明に覚えています。

それから10年、カンボジアで運良く拾えたいくつかの小さな成功とその数倍の痛過ぎる失敗を経て、死にそうになるたびに有難い仲間・恩人・家族に支えられ、なんとか事業を継続しています。
自身の個人商店の域をなかなか超えられなかった状況は約3年前に脱し、頼りになる共同創業者・共同経営者達とともに農業事業法人・金融機関を創業、ようやく本格稼働が始まってようやく1年数ヶ月経ったいま、平成最後の夜を迎えています。
よく知った同世代や後輩世代が偉業を成して世に出るのを眺めつつ、まだまだ何も成し遂げてない自分におおいに焦りを感じつつ、自分なりの何かを達成する道半ばで踠いているのが今日現在の自分です。

明日から令和元年。 カンボジア事業に日本の元号は関係ないですが、会社員として12年、起業して10年、あと2年で起業も干支一周となるこのタイミングで時代が新たなフェーズに切り替わる明日を、いよいよカンボジア事業のラストスパートをかける良日としたく、引き続きがんばります。
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特に意味はないですが、いろいろと大変だった平成苦行の間、瀕死の危機に陥るたびに眺めていた「平成の名言(私見)」写真アップします。 令和になってもきっと眺め続けざるを得ないと思いますがw


全ての皆さまにとって令和が良き時代になりますよう。
ここまで読んでいただいた皆さま、感謝です。









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